大事なものとは、あの戦争における300万人余といわれる死者たちへの本当の意味での鎮魂だ! 

・戦後の日本がやってきた「復興」とは何か。  それは、生活のためと称してともかくも物資的な富を生みだし、生活を簡便で便利なものとした。
 だが、精神的な何かを生活から追い出し、人の手の届かないものへの畏敬や、死者や先人への思いや、自分を支えてくれる人々への責任などをあまりに軽く見てきた。
・戦後日本は復興から成長へと続く流れのなかで、何か大事なものを失ってしまった。 それは、本当の意味での死者への鎮魂である。 大事なものとは、あの戦争における300万人余といわれる死者たちへの本当の意味での鎮魂だ!  もちろん、戦死者や犠牲者の家族はそれぞれのやり方で死者を悼んできた。
・鎮魂は宗教的儀礼であり、宗教は政治から分離されるべし、という奇妙な合理主義が公式化してしまった。


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
大震災から2年目の夏
京都大学教授・佐伯啓思   2012.8.20 03:12
 東日本大震災から2度目の夏である。  ある人は、いまだに家族がみつからないが、今年のお盆は家族を迎えなければ仕方ない。  そうでなければ前へ進めない、といっていた。   そうはいうものの、その声はどこかとまどいを隠しきれない、という風情であった。
 こうしたとまどいがいまだに無数に続いているのであろう。  どのような形であれ、姿を目にしなければあきらめはつかない。  しかし、またどこかで区切りを付けなければ先には進めない。  どうにもならない思いが人々をいまだに引き裂いている。
 今年の3月、ほんの少しの時間だったが、ちょうど震災1年後の釜石を訪れた。  被災した知人に会うためであった。  その時、知人が次のようなことを言っていた。
 仮設住宅に入るのに多少の苦労はあったが、あれだけの大災害からすれば、思いのほか物資は次々に届けられた。  ともかくも生活できる場所は提供され、電気製品や衣料や生活物資は次々と送られてきた。  それはそれでありがたいことである。  しかし、正直にいえば、こんな風に簡便に復興が進んでしまっていいのか、という気がする。
 あれだけの巨大災害なのだ。 簡単に復興などできるわけがない。 自分たちはもっと時間がかかると思っているし、その覚悟でいる。  それを、ただポンポンと住宅が建てられ、生活物資が空から降るように提供され、いかにも簡便にモノを配給されてそれで復興などというのは何か違う気がする、というのだ。
 もちろん、まずは生活が大事である。そのためにはともかくも物資が必要である。 そしてそれさえも満足に確保できない場所もある。  復興予算も未消化だといい、政府の復興構想会議の提言もどうなったのかよくわからない。
 確かに物的な復興を急ぐことは致し方のないことだろう。  しかし、このやり方は、いってみれば、戦後日本の復興と同じではないか。  焼け跡にバラックを建て、アメリカの援助でともかくも物資を確保し、やがて焼け跡のバラックは簡便なプレハブ住宅に変わり、文化住宅につづいてモルタルのアパートができ、ショッピングセンターが造られ、団地ができ、今ではコンビニがなければ生活が成り立たなくなった。
 今回の東北の「復興」も、こういう戦後日本の経済復興の縮小版で行われるとしたら、それではこの大震災で被災した意味がない。

 戦後の日本がやってきた「復興」とは何か。  それは、生活のためと称してともかくも物資的な富を生みだし、生活を簡便で便利なものとしてきた。
 だがそうすることで、精神的な何かを生活から追い出し、人の手の届かないものへの畏敬や、死者や先人への思いや、自分を支えてくれる人々への責任などをあまりに軽く見てきたのではなかったか。
 そうだとすれば、東北の「復興」は、たとえいくら時間がかかっても、自分たちの手で、こうした戦後日本が失ったものを取り返すようなものでなければならないのではないか。  こうこの知人はいうのである。
 これは、重い言葉である。私自身も同じように感じていたので、十分に共感できることである。
                   ◇
 ただ違うのは、私は、被災してないので、いわば頭の中で考えているだけなのに対して、この人は、住宅も財産もすっかり失った上でそういっているのだ。
 ここには大きなジレンマがある。 これほどの大災害であるからには、まずは、生活の確保が第一であり、そしてその延長上に、プレハブの仮設住宅から始まり、ビル建設、ショッピングセンター、マンションという方向が見えている。 実際、復興資金が投下されたために建設業の時ならぬ活況などという事態になる。 ホテルも飲食店も大忙しだとも聞く。
 これはこれで致し方ないことかもしれない。  しかし、そうなればいっそう、家族や住宅を失った人々の思いは、やるせない沈黙のなかにとじ込められてゆくであろう。   確かに、姿を見せない家族は死者とし、死者については沈黙しなければ「先には進めない」のだ。
 しかし、それでもあきらめきれないものが残る。  とすれば、本当に「先に進む」ことがよいのであろうか。   こういう疑問がわいてきても当然ではないだろうか。
 戦後日本は復興から成長へと続く流れのなかで、何か大事なものを失ってしまった。 それは、本当の意味での死者への鎮魂である。 あの戦争における300万人余といわれる死者たちへの鎮魂である。  もちろん、戦死者や犠牲者の家族はそれぞれのやり方で死者を悼んできたであろう。
 しかし、国家的な形において、あるいは国民的な規模において、死者の魂の鎮めというものは失われてしまった。 なぜなら、鎮魂は宗教的儀礼であり、宗教は政治から分離されるべし、という奇妙な合理主義が公式化してしまったからである。  しかも、国民の大多数は、死者への鎮魂などよりも、今日、明日生きてゆく食糧の確保に関心を向けたからである。
 「復興」とは難事業である。  物的な復興は可能であろう。しかし、死者の魂を置き去りにした復興など本当はありえない。  死者と向き合い、死者の思いを救い出すところからしか本当の復興は始まらないのであろう。(さえき けいし)