・日本政府は領海侵入を常態化させ圧力をかける中国の「罠(わな)」に引っかかって「領土協議」に応じてはならない!

・「主権と領土問題は半歩たりとも譲らない」という温家宝首相の超強硬発言を号砲にして始まった対日攻勢は、一時は、気炎万丈にして疾風怒濤(どとう)の勢いであった!
梁光烈防相も9月18日、「(日本に対して)行動を起こす権利を留保する」と言って赤裸々な軍事恫喝(どうかつ)を行った!
胡錦濤指導部が主導した一連の対日攻勢の主な目的は当然、日本側に圧力をかけ、尖閣国有化からの撤退を強いることにあったが蓋を開けたら、すべて、目的を達成できないまま中途半端に終わってしまった!
・9月26日、野田首相は「尖閣で妥協しない」、「半歩も譲らない」と宣言した!
・日中間攻防の経緯から、日米同盟が実に重要で大きな効力を発揮していることが明白となった!
・日本政府は領海侵入を常態化させ圧力をかける中国の「罠(わな)」に引っかかって「領土協議」に応じてはならない!



〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
中国という「張り子の虎」  
石平   2012.10.11 Thursday   [石平のChina Watch]
 9月10日に日本政府が尖閣諸島の国有化を決めて以来、中国側は2週間以上にわたって、日本に対する未曽有の激しい「反撃攻勢」に打って出た。
 「主権と領土問題は半歩たりとも譲らない」という温家宝首相の超強硬発言を号砲にして始まった対日攻勢は、一時には気炎万丈にして疾風怒濤(どとう)の勢いであった。   政府が一度に十数隻の監視船を尖閣海域に派遣して日本の領海に侵入させ、「1千隻の漁船が尖閣を目指して出発」との重大ニュースも流れた。
 日中共催のイベントや商業活動などはことごとく取り消され、商務省の高官は日本に対する「経済制裁」の発動を示唆した。
 その一方、国内では史上最大規模の反日デモが動員されて中国全土を席巻し、一部の現役軍人が「尖閣開戦」を公言するようになった。
 梁光烈防相も9月18日、「(日本に対して)行動を起こす権利を留保する」と言って赤裸々な軍事恫喝(どうかつ)を行った。
 胡錦濤指導部が主導したこの一連の対日攻勢の主な目的は当然、日本側に圧力をかけ、尖閣国有化からの撤退を強いることにあったはずだ。  だが蓋を開けてみたら、それらはすべて、目的を達成できないまま中途半端に終わってしまったのではないか。
 政府の動員で起きたデモが拡大して政府批判の動きに転じていくと、慌てて急ブレーキをかけて沈静化させたのは当の中国政府である。   憂慮されていた「1千隻の中国漁船の領海侵入」は結局杞憂(きゆう)に終わってしまい、中国の漁船は一隻たりとも日本の領海に入ってこなかった。
 商務省高官の示唆した「経済制裁」も発動できず、日本に対する「制裁」はせいぜい、輸出品の通関検査を「厳しくする」程度の嫌がらせである。
 もちろん、中国軍の「尖閣開戦」は最初からただの脅しにすぎなかったので、梁国防相が言った「行動を起こす権利」は今でも、単に「留保」されているだけである。
 そして9月26日、「尖閣で妥協しない」と宣言し、それこそ「半歩も譲らない」との姿勢を明確に示したのは、むしろ日本の野田佳彦首相なのである。
 それに対して、中国政府はテンションを上げて言葉上の激しい批判を展開したものの、さらなる「対抗措置」をとることはいっさいなかった。
 野田首相発言の翌日、今度は、党内序列4位の人民政治協商会議全国委員会の賈慶林主席が日本側の代表団との会談に応じて出て、「日中関係を大事にする」うんぬんを語り始めた。
 考えてみれば、まさにこの「妥協しない」という野田首相の発言をもって、中国側の発動した史上最大の対日攻勢はまったくの徒労に終わってしまった。 虚勢を張る以外に何もできないという中国の「張り子の虎体質」がそれで、白日の下にさらされた。
 日本側が毅然(きぜん)とした姿勢を貫くことさえできれば、中国は結局、日本を制するための決め手を何も持っていないのだ。
 一連の日中間攻防の経緯からは、中国は脅威ではあるが恐れるに足らずとのこと、そして現在は機能している日米同盟が実に重要で大きな効力を発揮していることなどを、われわれは十分に学んで認識しておくべきであろう。
 今後、中国政府は監視船による日本の領海侵入を常態化させて圧力をかけながら、日本側を「領土問題」に関する協議の席に引っ張りだそうとする戦術に転じていくだろうが、前回指摘したように日本政府はその「罠(わな)」に引っかかって「領土協議」に応じるようなことはあってはならない。
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【プロフィル】石平(せき・へい)=1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。(産経)