・「国を守る」とは、自衛隊だけの任務ではなく、国民全体にとっての任務である。

・非軍事的手段で「国を守る」とは、
(イ)軍事的有事下での非戦闘員たる一般国民の秩序ある避難行動、
(ロ)社会的緊急事態(大型の都市テロ、国民生活に直結する重要社会インフラへのゲリラ攻撃など)への対応、
(ハ)大規模自然災害時の被災地域への救援・支援、を含む広義の国防論である。
・(ハ)では、活動能力あるマンパワーの適時かつ迅速な動員の仕組みが平時において用意されていなければならない。  つまりは民役(シビル・サービス)制の導入を真剣に検討すべきときが来ている。
・「国を守る」とは、自衛隊だけの任務ではなく、国民全体にとっての任務である。



〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
震災への思い、国自ら守る気概に
防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛  2013.3.11 03:22 [正論]
  私がいま暮らしている地域では見当たらないが、小学校の後半3年と中学校時代を過ごした奈良では田舎道で一里塚というのに出合ったことが、60年以上を経た今日でも強く記憶に残っている。  いわゆる里程標だが、あの起点はそもそもどこだったのだろう。
 ≪2年で冷めたボランティア熱≫
  東日本大震災から2年、今日はいわば2つ目の一里塚の日だ。 この日を待ちかねたかのように、マスメディアでは「3・11」をめぐる回顧、進んだ、あるいは進まない復興状況、なかんずく大惨事の象徴たる原発システムの存続の是非、さらには災後の人心、人間関係の変容をめぐって、熱心な報道が展開されてきた。  私は丹念にそれらに目を通し、視聴している。
  しかし、災後しばらくの間はマスメディアの関心を強く引いたのに、2年後の今日ではほとんど報じられることのなくなったテーマが少なくともひとつある。
  災後に活発化したボランティア活動がそれだ。  大震災直後、日本各地に澎湃(ほうはい)としてボランティアのうねりが生まれ、福島を中心に被災地へ向かった。  報道にも熱がこもっていた。  しかも、組織がないままのボランティア活動だったので、やがて人手の需要と供給の調節・配分に当たる民間組織さえ小規模ながら生まれた。
  災後3カ月もすると様子が変わった。 地域によってはボランティアによる人手の必要が強く残っていたが、当然のことながら、活動従事者数はうんと減った。 1年回顧の報道では、その点を指摘する声が強くなった。  だが、短期間でボランティア活動が大幅後退したのは、考えてみれば、不思議でも何でもない。
  なぜなら、それは無計画の、いわば自然の波動に委ねられていたからだ。  寄せては返す海の波。  阪神淡路大震災で高まり、やがて沈静、東日本大震災でもうひときわ高まり、また沈静、次の大災害でまた高まるだろう。
  だが、それなら「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の繰り返しだ。
 ≪高度社会必須の「民役」を≫
 大震災から2カ月半後の平成23年5月26日付の本欄に、「日本新生のため『民役』の導入を」と書き、自然任せのボランティア活用方式には3つの問題があると指摘した。 「第1、ボランティアには集散むらが小さくない。第2、長期性の保証がない。第3、ボランティア投入の計画化も困難だ」。
  この分析に今日も何ら変更はない。 うれしいことに、拙論に対しては、ボランティア活動の組織化に当たっている人々の間から、同意の表明があった。
  しかも、その賛同は、右拙稿で唱えた国レベルでの「民役制」導入必要論に対して、より明確に示された。  拙論は、納税義務を負う国民は国に安全と福祉を求めるが、福祉の方は納税でおおむねカバーされるとしても、安全は納税だけで買えるものではなく、加えて国民の側からの貢献を必要とする、というものである。
  この「国民の貢献」が兵役(ミリタリー・サービス)という形態をとったのは昔の話。 いま、高度社会の国家は兵役軍でもっては守れない。  中国艦艇によるレーダー照射が示すように、プロフェッショナルな兵力でなければ、軍事的防衛は不可能だ。  が、半面、高度化した社会にとっては非武力的手段で「国を守る」必要が焦眉の問題となった。
  この非軍事的手段で「国を守る」とは、(イ)軍事的有事下での非戦闘員たる一般国民の秩序ある避難行動、(ロ)社会的緊急事態(大型の都市テロ、国民生活に直結する重要社会インフラへのゲリラ攻撃など)への対応に加えて、(ハ)大規模自然災害時の被災地域への救援・支援、を含む広義の国防論である。
しかし、わが国にはそのための社会工学的な設計がない。
 ≪日本社会に芽吹く心理的準備≫
  わけても(ハ)では、活動能力あるマンパワーの適時かつ迅速な動員の仕組みが平時において用意されていなければならない。  つまりは民役(シビル・サービス)制の導入を真剣に検討すべきときが来ている。  もう一度、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」を繰り返さないために。  私見では、そのための心理的準備が日本社会にはかすかに芽吹きつつあると判断される。
  3・11直後、多くの大学生がボランティア目的で東北3県に入った。
  それを知った大学側はこれを奨励し、いくつかの大学では、それに単位が認定された。 社会的公認の初歩と見ることができよう。
  3・11から10カ月後の内閣府自衛隊・防衛問題に関する世論調査」では、「国を守る」という国民の気持ちをより高めるため、「教育の場で取り上げる必要があるか」との問いに対し、70・0%が「必要あり」と答えた。前回比3ポイント増の史上最高だ。
  国はこれに応えるべきである。 「国を守る」とは、自衛隊だけの任務ではなく、国民全体にとっての任務である。   非戦闘員である一般国民中の若年組は、国家の「民役」制に従事することによって「国を守る」という名誉ある役割を担うのだ、と説明しつつ。(させ まさもり)