アサド政権が倒れ、危機が周辺諸国に拡大

・欧米や、日本のマスコミがアサド政権を悪として、反乱側が善であるかのように報道してきたのを批判し、アサド政権が倒れれば、危機が周辺諸国に拡大しようと加瀬氏は警告してきた。
・「シリア」はトルコ語であって、ダマスカス地方を指す当時のトルコの行政上の名称だった。
・シリアが国家としてフランスから独立したのは、第2次大戦後の1946年のことである。
ムバラク政権が倒れた後に、自由な選挙によって、イスラム原理主義のモルシ政権が登場したが、全国が新しい独裁体制に反撥して、大混乱に陥っている。 リビアチュニジアも似たようなものだ。






〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
春まだ遠い 「アラブ民主革命」
加瀬英明   2013.03.12
  1月30日に、イスラエル戦闘機がシリア領空に侵入して、シリアからロシア製SA17対空ミサイルを積んでレバノンへ向かう車列を攻撃して、破壊した。
 シリア内戦が始まってから、イスラエル空軍機がシリアに対して空爆を行なったのは、はじめてのことだった。
 イスラエル機が攻撃したダマスカス北方付近に、シリアの化学・生物兵器研究施設があることから、レバノンへ化学・生物兵器を搬送しようとしていた疑いも、向けられている。
 シリア内戦は、イスラムシーア派の大国イランと結ぶアサド政権と、イランを恐れるサウジアラビアなどのイスラムスンニー派諸国の代理戦争であってきた。 
 イランとアサド政権のシリアは、レバノンの強力な民兵組織ヒズボラを、支援してきた。これまでヒズボラはしばしばイスラエルに、攻撃を加えてきた。   イスラエルは先端兵器がヒズボラへ渡るのを阻止するために、攻撃を加えた。
 スンニーとシーアは、同じイスラム教でも互に相手を背教者として憎む、不倶載天の敵(かたき)であってきた。  スンニーが世界のイスラム教徒の圧倒的多数を占めており、シーアは10パーセントあまりに当たると推定される。
 私はシリア内戦が始まってから、欧米や、日本のマスコミがアサド政権を悪として、反乱側が善であるかのように報道してきたのを批判し、アサド政権が倒れれば、危機が周辺諸国に拡大しようと警告してきた。
 日本のマスコミも、毎日のようにシリア情勢を報じているが、ほとんどの読者がシリアの歴史について、ごく簡単な知識すら持っていまい。 だが、まったく知らずに、シリアを論じることはできない。
 今から99年前に、第1次大戦が戦われるまで、今日のシリアはオスマン・トルコ帝国の属州だった。 それまで、今日のシリアを国として表わす言葉は、存在しなかった。  「シリア」はトルコ語であって、ダマスカス地方を指す当時のトルコの行政上の名称だった。
 アラビア語でも、シリアを1つにまとめて呼ぶ言葉が存在しなかった。ダマスカス地方に住むシリア人は、アッシャーム人として知られ、アレッポ人とか、ハマ人とか、ベイルート人といったように、住んでいる都市によって呼ばれた。
 シリアという地域単位は、フランスが第1次大戦にトルコ帝国から、今日のシリアを切り取るまで存在していなかった。 シリアが国家としてフランスから独立したのは、第2次大戦後の1946年のことである。
 シリア人の大部がアラブのイスラム教徒だが、シリアにはさまざまな多くの民族、部族、宗派に属する人々が生活している。
 アサド政権はシーア分派のアラウィ派で、人口の10パーセントあまりにしか当たらない。  なぜ、少数派のアラウィが実権を握ってきたかといえば、フランスがアラウィ派を用いて現地人部隊をつくって、統治したためだ。
 今日のほとんどの中東諸国は、ヨーロッパが第1次大戦後につくった、人造国家である。  シリアも民族と宗派の雑居国家だから、国家としての一体感がない。 部族や、宗派に対する帰属感のほうがはるかに強い。

 オバマ大統領は「アラブ民主革命」がチュニジアから、エジプト、リビアまで進んでいた最只中に、「アメリカが待ち望んできた歴史的な発展(ヒストリック・オポチュニティ)」であると手離しで称え、ヒラリー・クリントン国務長官も負けずに、中東において「安全と安定と平和がもたらされることとなる」と、賞賛した。
 ムバラク政権が倒れた後に、自由な選挙によって、イスラム原理主義のモルシ政権が登場したが、全国が新しい独裁体制に反撥して、大混乱に陥っている。 リビアチュニジアも似たようなものだ。
 オバマ大統領も、クリントン前長官も、愚かさを反省していよう。