「中国の黄色い大衆が、抑えがたい野心と拡大する力にかられて、その目を広い原野、広い海洋に向けてくる」

・中国史を俯瞰(ふかん)すると、「領土」という概念は、支配地を柔軟に拡大できるという意味での「版図」にちかい。
華夷秩序を欧米やアフリカなど、文字通り全世界へと拡大しようという野心すらうかがえる。
・中国は漢民族を中心に、モンゴル民族、チベット民族、ウイグル民族など、多くの民族をかかえた多民族国家である。  それらをひっくるめて「中華民族」と呼ぶのは、いかにも乱暴である。
中華民族という「単一民族神話」の大風呂敷には、反政府的な活動を行っている民族をムリヤリに「統合」してしまおうとする強烈な政治意志が働いているのは確かである。
・「中国の黄色い大衆が、抑えがたい野心と拡大する力にかられて、その目を広い原野、広い海洋に向けてくる」





〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
「日没する」国からの脅威
論説委員・福島敏雄   2013.3.30 03:39
 ◆華夷秩序のDNA
 聖徳太子が推古15(607)年、遣隋使を派遣したさい、隋の煬帝(ようだい)に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という書き出しではじまる国書を送った。 煬帝は「蛮夷の書、無礼なる者あり」と激怒したが、一般的には「日没する」というくだりにカチンときたとされている。
 だがじっさいは、「天子」という表現が逆鱗(げきりん)に触れたのである。 天はひとつしかなく、天の命によって皇帝の地位につく天子も、世界にひとりしかいないからである。  では天とはなにか、となると、これがむずかしい。
 ドイツの哲学者、ヘーゲルは『歴史哲学講義』の中国の項で、天は宗教以前の「自然の力」のようなもので、皇帝は天から権力を委託された者(エージェント)だとした。  飢饉(ききん)などによって国内が混乱すると、皇帝は天命に反したとみなされ、あっさりと打倒される。易姓革命である。
 天を中心にした中華思想は、形而上学的(メタフィジカル)な意味では、全世界を包含している。 その世界では、王都とその直轄領土を除くと、四方を東夷、西戎(せいじゅう)、南蛮、北狄(ほくてき)が囲む同心円的なチャートを描いていた。
 華夷秩序と呼ばれる。 四方の国々は皇帝に貢ぎ物をささげ、王位の承認などを求めた。 名目的な支配下に入る冊封体制である。
 「東夷」である日本も卑弥呼倭の五王、さらには室町期の足利義満などの時代に、断続的に朝貢をかさねた。  だが聖徳太子の国書にみられるように、冊封から外れていた時期のほうが長かった。
 社会主義体制下の中国も、あきらかにこの華夷秩序のDNAを引きずっている。
 ◆「中華民族」という虚構
 新しい国家主席に選ばれた習近平氏は過激な口調で、「中華民族の偉大なる復興」が「中国の夢」だと語った。  アヘン戦争まで持ち出し、以降の170年間は「屈辱の歴史」だと位置づけた。  華夷秩序を欧米やアフリカなど、文字通り全世界へと拡大しようという野心すらうかがえる。
 そのために「中華民族」というコトバがなんども強調された。  中国は漢民族を中心に、モンゴル民族、チベット民族、ウイグル民族など、多くの民族をかかえた多民族国家である。  それらをひっくるめて「中華民族」と呼ぶのは、いかにも乱暴である。
 米国の政治学者、ベネディクト・アンダーソンが指摘したように、民族とは「想像の共同体」、つまりフィクションなのだから、いくらでも想像=創造することができる。
 だが中華民族という「単一民族神話」の大風呂敷には、反政府的な活動を行っている民族をムリヤリに「統合」してしまおうとする強烈な政治意志が働いているのは確かである。
 この統合への意志には、冊封体制下で、朝貢をかさねたかつての「蛮夷」の領土も、もちろんふくまれている。
 ◆柔軟に拡大できる「版図」
 中国の領土的な野心を最初に見抜いたのは、おそらくフランスの元大統領、ド・ゴールである。 半世紀以上も前に書かれた『大戦回顧録』のなかで、「中国の黄色い大衆が、抑えがたい野心と拡大する力にかられて、その目を広い原野に向けてくる」と喝破した。
 「黄色い大衆」という差別的な表現は、日露戦争後、欧州を席巻した黄禍(イエロー・ペリル)思想によるものだが、「広い原野」を「広い海洋」に変えれば、ストレートに尖閣諸島につながる。
 なぜ中国は、尖閣諸島の領有に、ここまでこだわるのか。 海洋資源が狙いとされるが、それ以前に、かつての琉球王国冊封体制下に入っていたからであろう。
 琉球王国朝貢をはじめたのは、15世紀半ばまでさかのぼる。   江戸初期には薩摩藩の実質的な支配下に入ったものの、明、清の時代を通じ、王位継承のたびに、その承認を求めるために、使節を派遣しつづけた。
 薩摩藩が黙認したのは、琉球経由の中国貿易で利益を得ていたからである。
 明治初期、いわゆる琉球処分によって、日本が琉球沖縄県にしたとき、清朝は「琉球は清の領土」と抗議した。
 中華人民共和国も、沖縄の潜在的な主権は中国の側にあると解釈しているという。 沖縄の人々は「中華民族」であり、日本による領有は「屈辱の歴史」だということになる。
 中国史を俯瞰(ふかん)すると、「領土」という概念は、支配地を柔軟に拡大できるという意味での「版図」にちかい。  版図は「図(ず)」だから、地図でも海図でも、お好みの「赤色」に塗りかえることができる。
 なぜ塗りかえるのか。それが天命だ、となるのだから、しまつが悪い。(ふくしま としお)