・いまの憲法で集団的自衛権の行使が問題になるのは、憲法の条文に、国家最大の実力組織である自衛隊に関する規定がないからだ!

・中国は不条理な主張に基づいて公船による領海侵犯を繰り返すし、北朝鮮は日本に向かって「無慈悲な」核攻撃まで口にするようになった。
集団的自衛権は行使できないという政府の憲法解釈は、急いで改めるべきである。
・日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、日米同盟は二重の意味で強化される。 一つは、同盟協力の幅を拡大できるという意味での強化。
もう一つは、同盟協力の基盤を固めるという意味での強化。
・日米同盟は、国連憲章に明記された集団的自衛権に基づく同盟である。
・一番のごまかしは、安保条約第5条、日本有事の日米共同対処における日本の行動を、それが在日米軍を守るものであっても、個別的自衛権で説明するところだろう。
・いまの憲法集団的自衛権の行使が問題になるのは、憲法の条文に、国家最大の実力組織である自衛隊に関する規定がないからだ!
・政府は、自衛隊の実力行使の目的は、必要最小限の「自」国民保護であり、それは憲法に違反しないとしてきた。





〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
「国民の憲法」考 
大阪大学大学院教授・坂元一哉  2013.5.1 03:23 [正論]
 ■対米ミサイル阻めずに同盟国か
 中国の軍事的台頭、北朝鮮の核およびミサイル開発によって、日本を取り巻く国際情勢は一段と厳しさを増している。  中国は不条理な主張に基づいて公船による領海侵犯を繰り返すし、北朝鮮は日本に向かって「無慈悲な」核攻撃まで口にするようになった。
 ≪最大のごまかし安保条約5条≫
 日本が、日米同盟をこれまで以上に強化して、自国と地域の安全を図るのは当然のことだろう。 そのための課題はいろいろだが、集団的自衛権は行使できないという政府の憲法解釈は、急いで改めるべきである。
 日本が集団的自衛権を行使できるようになれば、日米同盟は二重の意味で強化される。
 一つは、同盟協力の幅を拡大できるという意味での強化。 例えばいま、日本周辺の地域で日本の平和と安全に重要な影響を与える事態(周辺事態)が発生したとする。 その場合、日本はその事態に対応する米軍に対し、日本周辺の公海上でも補給などの支援を行うことができる。
 だが、その支援は、武力行使と「一体化」すれば、集団的自衛権の行使になる。 そういう理由から場所や内容が制限されている。
 もし集団的自衛権の行使が可能なら、「一体化」するしないの曖昧な議論なしに、支援のありようを考えることができるだろう。  補給に限らず、状況によっては米艦船の防護もできるから、同盟協力の実効性は格段に向上する。
 もう一つは、同盟協力の基盤を固めるという意味での強化。 日米同盟は、国連憲章に明記された集団的自衛権に基づく同盟である。  しかし、実際の同盟協力は、同盟の一方(日本)が集団的自衛権の行使はできないという、変則的な形でなされてきた。そのことにはごまかしもつきまとう。
 一番のごまかしは、安保条約第5条、日本有事の日米共同対処における日本の行動を、それが在日米軍を守るものであっても、個別的自衛権で説明するところだろう。 この条文ができた安保改定時の関係者で、内閣法制局長官もつとめた高辻正巳氏は後年、国内ではそう説明したが、これは集団的自衛権の行使であり、米国はそう理解したと回顧している。
 こういうごまかしをやめ、日米協力を双方の集団的自衛権で説明すれば、同盟の基盤はより確固としたものになろう。  ごまかしは協力の相互性を見えにくくして双方に不満をもたらし、同盟を脆弱(ぜいじゃく)にするだけである。
 ≪自衛隊規定の条文ない欠陥≫
 この点、軍事技術の発達で、集団的自衛権の行使に関する日本の姿勢が、同盟協力の基盤を弱めるばかりか、一挙に壊してしまいかねない恐れが出てきたことにも注意がいる。  しばしば指摘されるが、将来、ミサイル防衛の能力が高まり、日本が米国の領土に飛んでいく核ミサイルを撃ち落とせるようになっても、いまの姿勢のままでは法的に撃ち落とせない。   これは、理屈のうえでそうなる、というだけで同盟の精神基盤をおかしくする話である。
 産経新聞が発表した「国民の憲法」要綱はその第16条で、「国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する」と、実力組織である「軍」の保持とその目的を明記している。
 もし、こういう条文がいまの憲法にあれば、集団的自衛権の行使は問題なくできるようになるだろう。
 結局のところ、いまの憲法集団的自衛権の行使が問題になるのは、憲法の条文に、国家最大の実力組織である自衛隊に関する規定がないからである。
 これは間違いなくこの憲法の欠点であり、「国民の憲法」はそのことを改めて気づかせてくれる。
 ≪「他」国民保護できるように≫
 憲法に「16条」のような条文をいれ、自衛隊の保持を明記し、同様の目的を書き込む。そうすれば、たとえ9条がそのままであっても、集団的自衛権の行使はできないとの憲法解釈は出てこないだろう。  いまの憲法を「16条」のような条文を持つものに改正するのは、これからの日本の安全保障にとって望ましいし、必要なことだと思う。
 ただ、それにはなお時間がかかる。その一方で集団的自衛権の行使容認は焦眉の課題になっている。  まずは政府の憲法解釈を変更し、限定的でもよいから、この権利の行使を可能にすることを探るのが賢明だろう。
 政府は、自衛隊の実力行使の目的は、必要最小限の「自」国民保護であり、それは憲法に違反しないとしてきた。
 では、必要最小限の「他」国民保護はどうか、と問うのが解釈変更のポイントになる。
 憲法にはそのための実力行使を直接禁ずる規定はない。 国際社会の変化、軍事技術の発達、日本の国家としての発展と、憲法の精神を総合的に考え合わせて、それができるとなれば、必要最小限の集団的自衛権行使もできるようになるはずである。(さかもと かずや)