・竹島は江戸時代以降、近くにある鬱陵島(韓国)への寄港地としても利用されてきた。

サンフランシスコ講和条約が発効する3カ月前の昭和27年1月、韓国の李承晩大統領は竹島を韓国領とする「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定した。竹島周辺で操業をしていた漁船約300隻が拿(だ)捕(ほ)され、44人が死傷し、漁師約4千人が抑留された。
竹島は江戸時代以降、近くにある鬱陵島(韓国)への寄港地としても利用されてきた。
竹島付近を通る船舶の航路が書かれた戦時中の地図2点も見つかった。島根県は「竹島が近代以降も日本の船舶の目印になっていたことが分かる」と強調する。
 地図は、昭和17年発行の「太平洋素図」と18年の「太平洋全図」。国土地理院の前身にあたる大日本帝国陸地測量部が発行した。
・地図には、2点とも左上に「竹島」とあり、鬱陵島は「欝陵島(松島)」と書かれていた。
竹島は明治38年に島根県編入され、昭和初期の地図では当時の島の様子や隠岐の人々との関わりが具体的に記載され、竹島隠岐の人々の歩みを知るうえで貴重な証左ともいえる。




〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
古地図が語る「竹島は日本のもの」…貴重な〝物証〟、「隠岐」との関わり明確に
2013.5.3 18:00
昭和15年に発行された隠岐諸島の観光パンフレットに「竹島」。
 日本固有の領土にもかかわらず韓国の不法占拠が続く島根県隠岐の島町の「竹島」。県は竹島隠岐諸島の深い関係を国内外に伝えるため、入念に資料収集を続け、今年に入って昭和初期の地図が相次いで見つかった。韓国の不法占拠から約60年が経過し、竹島の様子を直接見聞きした人が少なくなる中、地図は竹島隠岐の人々の歴史的な歩みを示す貴重な“証人”と注目を浴びている。(坂田弘幸)
 竹島隠岐諸島の北西約157キロ沖の日本海上に位置し、2つの小島と周辺の数十の岩礁から成る。総面積(約0・21平方キロメートル)は日比谷公園(東京都)の1・4倍、東京ドーム5つ分の大きさで、アワビなどの水産資源が豊富だ。
 サンフランシスコ講和条約が発効する3カ月前の昭和27年1月、韓国の李承晩大統領は竹島を韓国領とする「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定。竹島周辺で操業をしていた漁船約300隻が拿(だ)捕(ほ)され、44人が死傷し、漁師約4千人が抑留された。
 島根県によると、日本の竹島での漁は、韓国の沿岸警備隊竹島を不法占拠する直前の29年5月に、隠岐島の漁民らが周辺海域でアワビやサザエを捕ったのが最後。  周辺海域は日韓の漁船が操業できる暫定水域内にもかかわらず、現在も日本漁船がまったく近づくことができない。
 一方で島根県は領土問題が解決されれば、竹島周辺ですぐに漁を再開できるよう昭和28年に漁業権を設定し、10年ごとに切り替えてきた。
漁業権は漁協などの漁を認める権利。 現行の漁業権の期限は平成25年8月31日までで、地元漁協による隠岐島漁業協同組合連合会が取得している。
 県は4月23日、今年9月以降の10年も現行の内容で切り替える方針を決めた。  漁場は竹島の岸から500メートルの範囲で、対象はアワビ、サザエ、ワカメ、イワノリ、テングサ。同漁連が継続して交付を受ける見通しだ。
 
男島女島の表記
 新たに見つかったのは、昭和初期に漁師らが竹島に滞在した際の状況を示したとみられる地図「竹島略図」。 手書きのもので、西島を「男(お)島(しま)」、東島を「女(め)島(しま)」と記載。  当時の島の様子を知る手掛かりになると注目されている。
 地図は、県文書「渉外関係綴」に収録されているのを県が見つけた。昭和3年9月27日から10月20日まで漁師らが竹島に滞在した際の状況を記したものとみられている。「男島」と「女島」の呼称は隠岐の島の住民への聞き取り調査とも一致する。
 洞窟で水が湧いた場所をさすとみられる「水」や火山の噴火口とみられる「穴」のほか、「トド狩場」の表記もあった。  西島の北側付近でアシカを頻繁に目撃したという話があり、「トド狩場」はそれと符合する。
 
ダイコン栽培
 竹島略図の東島には耕地の跡を示す「畑跡」と記された場所もあった。昭和初期に竹島での漁に関わった隠岐の島町の男性は生前、「竹島渡航の際には植え付けのよい葉ネギを1束持っていき、東島の畑に植えた。ダイコン、ハクサイの種も畑に植えた」と語っている。
 「20〜30日もするとダイコンやハクサイも葉っぱが出始めるので食べることができた。 竹島の畑で育った青物はみそ汁の具として食べた」と証言している。
 県は「昭和初期に隠岐の漁民に竹島が経済的に利用されていた。わが国が実効支配していた具体的な実態を改めて確認できる」としている。
 
観光パンフにも記載
 竹島は江戸時代以降、近くにある鬱陵島(韓国)への寄港地としても利用されてきた。島根県は、今年に入って竹島隠岐の人々とのつながりを知る資料を相次いで確認した。
 隠岐汽船隠岐の島町)が昭和15年に発行した隠岐諸島の観光パンフレット(縦38センチ、横53センチ)もその一つ。カラー刷りで折りたため、竹島を名所として取り上げており、隠岐汽船の寄港地や後鳥羽上皇行在所跡など隠岐の名所、牛突きなどの名物を写真とともに紹介している。
 竹島については「西郷港より百浬(かいり)、島後の西北海中に吃立する2個の大岩嶼(しょ)と多数の小岩とより成る無人島嶼であり、海(あし)驢(か)の生息地である」と解説。 
 裏表紙の隠岐諸島の地図「隠岐國略図」は、左上に竹島が記され、そばにアシカとクジラのイラストが描かれている。
 竹島関係の公文書や資料などを公開している竹島資料室は「隠岐の名所とともに竹島も紹介されている。竹島隠岐の住民によく知られていたことの証明」としている。
 
船舶の航路にも
 さらに、竹島付近を通る船舶の航路が書かれた戦時中の地図2点も見つかった。島根県は「竹島が近代以降も日本の船舶の目印になっていたことが分かる」と強調する。
 地図は、昭和17年発行の「太平洋素図」と18年の「太平洋全図」。国土地理院の前身にあたる大日本帝国陸地測量部が発行した。
 地図には、2点とも左上に「竹島」とあり、鬱陵島は「欝陵島(松島)」と書かれていた。
 太平洋素図には航路上に「小樽−大連」の表記があり、昭和元年に開設された航路「大連・朝鮮・北海道線」とみられる。
地図は、宮崎市の男性が島根県が資料提供を呼び掛けているのを知り、提供した。  県の調べで、同じ地図が国会図書館東北大学に所蔵されていることも分かった。 
 県は「陸地測量部が発行した地図は明治38年の竹島島根県編入後、明確に島根県所属と記載している」とした上で、「近代に入っても竹島日本海を通る日本船舶の目印となっていたのが確認されたのは重要な発見」と説明している。
 
日本固有の領土
 領土問題をめぐっては、産経新聞が創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として発表した「国民の憲法」要綱で、現行憲法にない「領土規定」を提唱。
 「日本固有の領土である北方領土竹島は、ロシアと韓国に不法占拠されたまま。  日本が実効統治している尖閣諸島周辺では中国公船が領海侵犯を繰り返し、奪取を狙っている」と指摘したうえで、日本の主権が及ぶ領土(領海、領空を含む)の範囲を内外に明確に知らしめるべきとしている。
 また、橋下徹大阪市長石原慎太郎氏が共同代表を務める「日本維新の会」のロゴマークには竹島尖閣諸島を入れた日本地図が記されている。
 橋下氏は「日本地図にこだわり、全国政党なので竹島尖閣諸島も入れた」などと説明している。
 竹島をめぐっては、今年2月、島根県で開催の「竹島の日」式典に抗議するため関西国際空港から入国しようとした韓国の市民団体が入国審査で7時間足止めになるなどして話題となり、日本、韓国両国内での関心は高まっている。
 竹島は明治38年に島根県編入され、昭和初期の地図では当時の島の様子や隠岐の人々との関わりが具体的に記載され、竹島隠岐の人々の歩みを知るうえで貴重な証左ともいえる。