・日本国憲法は「不磨(ふま)の大典」ではない。 必要なのは、手続きの大幅緩和以上に、政治家の信念と情熱だ!

日本国憲法は「不磨(ふま)の大典」ではない。 必要なのは、手続きの大幅緩和以上に、政治家の信念と情熱だ!
憲法は前文がおかしい。 日本国の安全と生存は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」自前の軍隊は持たない。 北朝鮮や中国の振るまいを見れば、「日本さえ銃をとらなければ平和が保たれる」という憲法の認識が誤っていることは自明だ!
北朝鮮や中国が 公正と信義に信頼できるのか? 逆立ちしても、できやしない。
憲法は国の最高法規で、「これだけのことは絶対に守らなければならない」と定めるものだ。 その憲法が下位規範である法律と同じ簡便さで改正発議されるのはどう考えてもおかしい。



〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
憲法は改正すべきだが…
MITシニアフェロー・岡本行夫  2013.5.20 03:11
 日本国憲法は「不磨(ふま)の大典」ではない。 「改正されたことのない世界最古の成文憲法」(4日付本紙)を、一度神棚から下ろして見直すべきは当然だ。
 現在の憲法は、前文からしておかしい。 日本国の安全と生存は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」保持すると宣明し、従って自前の軍隊は持たない。 北朝鮮や中国の振るまいを見れば、「日本さえ銃をとらなければ平和が保たれる」という憲法の認識が誤っていることは自明だろう。
 9条はもっとおかしい。 13日付の本欄で、葛西敬之氏は「政府には国民の生命財産と国家の独立を『守る義務』がある。『守ることを許される』のではない」と書いた。 明快である。 「守る義務」すら明確でない現憲法の下で、自衛隊は「戦力」ではないとされる。  だから日本にあるのは「戦車」ではなくて「特車」、「爆撃機」はなくて「支援戦闘機」だ。  政府は舌をかみそうな言い方で自衛隊の合憲性と活動を説明してきた。  憲法を変えずに法律や閣議決定を重ねてもツギハギだらけの安全保障体制になる。  現在の憲法はできるだけ早く改正すべきだ。
 しかし、である。  憲法改正の発議要件を「衆参両院の過半数」にまで引き下げるのはいかがなものか。 総議員か出席議員なのかという差はあっても、「過半数」で発議できるなら法律改正手続きとほぼ変わらなくなる。
 「その先に国民投票がある」といっても、国民の気分は移ろいやすい。   「風」が吹けば、右から左へと大きく変化する。  やはり立法府の選良たちが発議するかどうかが決定的な意味を持つのである。
 憲法は国の最高法規だ。 法律に何を書こうが、「これだけのことは絶対に守らなければならない」と定めるものだ。 その憲法が下位規範である法律と同じ簡便さで改正発議されるのはどう考えてもおかしい。  国家の基本方針が常に不安定になる。
 「3分の2以上」が厳しすぎるのなら、「5分の3」にしてはどうか。
 これまで与党が両院それぞれで5分の3をとったことはない。
 しかし乗り越える努力をすべきだ。 話題の映画「リンカーン」は、リンカーン大統領が奴隷制廃止の憲法修正に必要な「下院の3分の2」を獲得するために、反対党の議員を個別に説得していく過程を描いたものだ。
 「上下両院の3分の2」プラス「全州議会の4分の3の承認」という厳しい条件の中で、アメリカは戦後6回、憲法を修正してきた。
 必要なのは、手続きの大幅緩和以上に、政治家の信念と情熱だろう。

 極論すれば、これまで「改憲」対「護憲」は、「右翼」対「左翼」の論争と受け止められてきた。 日教組は「世界にただひとつの平和憲法を守れ」と子供たちに教え込んできた。 一部のマスコミも、憲法を守るのは美しい人、変えるのは危険な人、というイメージを作ってきた。  安倍晋三首相のおかげで、ようやく一般の人々が参加する国民的な憲法論議になってきた。  さまざまな意見が噴出してくることを期待しよう。(おかもと ゆきお)