石碑建立は韓国軍の強姦・残虐行為を忘れまいと戦争後、ベトナム人が行った。

ベトナム戦闘終了後の治安維持期に入っても、猛虎師団、青龍師団、白馬師団などの韓国軍兵士が 村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している。 南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ31万名。  最盛期には5万名を数えた。
・韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と石碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っている。 石碑建立は韓国軍の残虐行為を忘れまいとベトナム人が行った。
・米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じた。
・韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ。(佐藤和「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」『SAPIO』2001年9月26日号)  韓国は子供達に真実を教えていない。
・1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村、1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省、1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村、1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方、1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省・・・・など、ベトナム婦女に対する強姦、ベトナム民間人の虐殺、略奪、化学兵器使用、拷問、・・・など悪行を重ね民族大虐殺を行ったのだ!

  


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
 ライダイハンとは、韓国がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士による現地ベトナム人女性に対する強姦などの性的交渉によりもうけられた子供のこと。(韓国人とベトナム人のハーフ)
 ライダイハンの正確な数は、最大3万5千人としているものもある。
アメリカはベトナムアメリカ兵が産ませたハーフの子は引き取った)
 原因については韓国軍兵士による強姦、兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて無責任にも韓国に帰国したこと」とする現地婚、「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた、とする慰安婦(非管理売春)など。
 南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件が連日報じていたことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する強姦が挙げられている。
 ベトナム戦闘終了後の治安維持期に入っても、猛虎師団、青龍師団、白馬師団などの兵士が村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している。
 南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ31万名。  最盛期には5万名を数えた。   また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、これも最盛期には2万人近くがベトナムに赴いた。
 韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したとも言われ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという。
 ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題。
 「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々」だ。

 米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。
 ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。
 韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ。(佐藤和「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」『SAPIO』2001年9月26日号)
 1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。
 1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。
 1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。
 1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ」こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。
 1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
 1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。 この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。 かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。 放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている 。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。アメリカの新聞の力をもってしても、語ることのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。
ウィキペディア 「ライダイハン」より、抜粋>