「日本を取り戻す」運動の王道

・昭和20年の敗戦後7年近く続いた米軍の占領期に、自国の歴史を旧敵国の手に奪はれるといふ事態に陥いり、その後遺症を未だなほ克服できてゐない。
・歴史を万世一系の皇室を戴(いただ)く世界に比類の無い国体として把握する学説は暗黙の抑圧を受け、又歴史に学ぶといふことは即ち古来の国体を守り現実の国益と国防とを考へるための教訓だとする学問観は危険思想視され、排除されてきた。
建国記念の日は、その様な、国家のため国民のための歴史を考へる潮流が復活したことを喜んで認識し、この新しい流(ながれ)を国民全般が支持し、蘇(よみがえ)つた国史観を軸に結束を固める記念日として祝ひたい。







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危機の時代に日本を取り戻す 
東京大学名誉教授・小堀桂一郎  2014.2.10 03:39 [正論]
 今月は待望の立春・寒明けにすぐ続いて7日に北方領土の日といふ政治的に甚だ重要な記念日があつた。 だがそれに又近接して11日の建国記念の日がくるのだから、多くの人の関心がこの国民の祝日の方により強く向ひがちであるのは致し方のないことだらう。
 まして本年は、昨年の出雲大社での60年ぶりの御遷宮伊勢の神宮での第62回式年遷宮の重儀を無事に斎行し了(を)へた、その大きな節目の年を送つて後の初めての建国記念の日である。 昨年末には神宮への参拝者が遂に史上空前の1400万人を超え、これは平成のおかげ参りだとの観測が諸方で語られてゐた。 国民の関心は1300年の歴史を遡(さかのぼ)つて一際熱烈に神宮御創建の昔に寄せられた。 そんな国民の共同体感情復活の延長線上に、神武天皇肇国(てうこく)の意味に改めて思ひを致すこの記念日が来る。
建国記念の日に考えたい≫
 今更言ふまでもないことだが、この日は元来神武天皇が御即位の式を挙げられた日だと古代の人々が考へた、皇紀元年正月元日を明治6年採用の太陽暦に換算してわりだした日付である。 故に、制定時から昭和23年に米軍の占領政策の一環として廢止を余儀なくされるまでは紀元節と呼ばれてゐた。
 さうであるからには建国を記念するといふ祝日の意味に別段拡大解釈を施すまでもなく、この日は国民が挙(こぞ)つて祖国の歴史の長い歳月を顧み、いはゆる「歴史に学ぶ」ことの重要さを考へる日だと意味づけることは至當である。 つまり單に式典を挙げて言祝(ことほ)ぐだけではなく国の歴史を真剣に考へ直す日としよう、との提案になる。
 念の為に記しておくが、考へたいのは国の歴史、国家と国民の歴史である。 日本人の歴史好きは言ふまでもない周知の現象であり、書店には硬軟様々の歴史書や史伝の物語が堆(うずたか)く積まれ、旧劇の人氣演目はその殆(ほとん)どが歴史劇と呼ぶべきものであらう。 国民の史癖に應へる情報の供給量は実際驚くほどに豊かで且(か)つ多彩である。
≪歴史を奪われた後遺症≫
 然(しか)しながら国民に光栄ある自国の歴史についての誇りと愛着を持たせるに足る古典的正統的な史書の普及の程を見渡してみると、依然としてかなり憂慮すべき状況にある。 この様に言ふのは昭和20年の敗戦後7年近く続いた米軍の占領期に我々は自国の歴史を旧敵国の手に奪はれるといふ事態に陥つたわけだが、その後遺症を未だなほ克服できてゐないからである。
 その原因が我々に自虐史観の毒を植ゑつけ、撒(ま)きちらした占領軍の罪業にあるとは、今はもう言へない。 その毒素を自分達の利権を揮(ふる)ふための方便として利用し続けた、国内の占領利得権相続人達にこの病弊の責任はある。
 占領利得者達の既得権濫用は、政治の領域に於(お)いては安倍晋三氏の政権への復帰、「日本を取り戻す」政策の始動以来漸(ようや)く抑制がかかり始めてゐる。 その醜行が国益の毀傷(きしやう)としてさすがに輿論(よろん)の顰蹙(ひんしゆく)を買ひ、政治力としても力を失ひつつあるからであらう。
 故に、現政権に対しては、その掲げた標語通りに、占領によつて奪はれた我が国の歴史を再び我が手に奪ひ返すために、現に総理が確立しつつある路線を、揺るぎなく堅固に歩み通して頂きたいとの期待を表明しさへすればよい。 問題は学界・司法界・経済界、そして報道・言論界である。
≪目に見えぬ規制基準の呪縛≫
 筆者の身近の学界で言へば、現今の国史学界にはなほ占領時代そのままのグローバリズム(世界諸国民に共通の普遍的価値ありとする迷信)とインターナショナリズム(国際協調主義といふよりむしろ国際共産主義革命への見果てぬ夢)が目に見えぬ規制基準として若い研究者達の自由な考察を呪縛してゐる。 そのため我が国の歴史を万世一系の皇室を戴(いただ)く世界に比類の無い国体として把握する学説は暗黙の抑圧を受け、又歴史に学ぶといふことは即ち古来の国体を守り現実の国益と国防とを考へるための教訓だとする学問観は危険思想視され、排除されてきた。
 然し又一方、ここ数年の短い間に、この言論空間の閉塞(へいそく)状況を果敢に打破せんとする若い歴史家達が登場してきたことも紛れもない現実である。 本欄は書評の欄ではないのでそれらのたのもしい著作家達の個人名を挙げることを控へるが、自ら戦争を体験してゐるわけではない戦後生れの世代の中から、安政の開国以後、さきの大戦での苦闘と敗北に至るまでの我が国の現代史の真実を、実に的確に公正に考察し、表現し得る若い歴史家が複数出現してゐる。
 考へてみれば、日本の正しい国史鎌倉時代から幕末に至る迄、結局は民間の志士といふ型の逞(たくま)しい学者達によつて担はれ、書かれて来た。 その伝統がこの危機の時代に見事に復活した観がある。
 本年の建国記念の日は、その様な、国家のため国民のための歴史を考へる潮流が復活したことを喜んで認識し、この新しい流(ながれ)を国民全般が支持し、蘇(よみがえ)つた国史観を軸に結束を固める記念日として祝ひたい。それが「日本を取り戻す」運動の王道である。(こぼり けいいちろう)