芦田修正の論理的解釈に基づくべきだ!日本国憲法は「攻撃的戦力」を禁じているのみである

・世界の中で、軍隊がありながら集団的自衛権の行使を自らに禁じている国は日本以外にない。
芦田均は9条の表現を現在の曖昧な条文に修正し、マッカーサー文民法律顧問は、その条文修正を有効と認めることによって日本は将来、自衛目的の軍事力を合法的に有することを許されるだろうと述べた。
・50年6月に北朝鮮が韓国に侵攻すると、日本はいかなる目的の戦力も持ってはならないと46年には指示(マッカーサー1)した当のマッカーサーが、日本国憲法は「防衛的な戦力」ではなく「攻撃的な戦力」を禁じているのみである(マッカーサー2)と宣言し、米軍兵器を装備し旧日本軍人らを配した警察予備隊を組織するよう日本に命令した。
内閣法制局の見解は、芦田修正の9条の論理的解釈に基づいてはいない。
憲法が改正され9条はもっと明快になるかもしれないが、現行9条の条文も集団的自衛権の行使は禁止していない。
・合法ながら非現実的な1972年の決定に固執することは、芦田の9条から逸脱するだけでなく日本を危うくする。
・妥当なものを含めてあらゆる集団的自衛権の措置を禁じることは、極めて有害であり危険だ!
マッカーサー元帥が50年に、サンフランシスコ講和条約が51年に、砂川判決が59年に、それぞれ憲法は自衛を認めている。
国連憲章も自衛を全加盟国の権利とうたっている通りに、憲法が本当に自衛を認めているのであれば、その旨の政策見解は、憲法を解釈し直すことでも憲法を曲げることでもない。
・合法的かつ現実的で合理的な国家安全保障政策の見解に変更することは遅きに失するぐらいだ! 60年以上も前の1950年には自衛を認めている。






〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
マッカーサーも「解釈」を変えた  2014.4.16 03:31 [正論]
ヴァンダービルト大学 日米研究協力センター所長 ジェームス・E・アワー

 憲法第9条幣原喜重郎首相が発案した、とマッカーサー元帥は言っているが、大方の日本人は元帥の着想だと思っている。  実際、元帥は、後に修正されたとはいえ第9条となる条項を入れるよう部下に命じ、それは当初、日本は自衛も含めいかなる目的の戦力も保持できないと述べていた。  1946年のマッカーサー指令(マッカーサー1と称する)が盛り込まれて日本の国会で可決されていれば、今日の自衛隊は、旧日本社会党が長らく堅持した立場である違法ということになろう。
朝鮮戦争で戦力保持へ転換≫
 だが、芦田均は9条の表現を現在の曖昧な条文に修正し、マッカーサー文民法律顧問は、その条文修正を有効と認めることによって日本は将来、自衛目的の軍事力を合法的に有することを許されるだろうと述べた。 マッカーサー元帥は芦田修正を有効と認めたものの、47年5月に憲法が発効したとき、日本政府はあらゆる軍事力を禁止されると説明した。
 50年6月に北朝鮮が韓国に侵攻すると日を置かずして、日本はいかなる目的の戦力も持ってはならないと46年には指示(マッカーサー1)した当のマッカーサーが、日本国憲法は防衛的な戦力ではなく攻撃的な戦力を禁じているのみである(マッカーサー2)と宣言し、米軍兵器を装備し旧日本軍人らを配した警察予備隊を組織するよう日本に命令した。言い分が46年の指示とはかなり違っていたにもかかわらず、である。

 世界の中で、軍隊がありながら集団的自衛権の行使を自らに禁じている国は日本以外にない。 憲法修正にも立法措置にもよらず、国家安全保障政策を立案するのではなくて、予算案の採決拒否をやめるよう野党を説得することを意図した内閣法制局の見解によってのみ、そうしたのである。
 元駐タイ大使の岡崎久彦氏が繰り返し指摘しているように、集団的自衛権の行使を禁じた72年の内閣決定は違法なものではなく、野党のボイコットを終わらせるための政治的なものであり、芦田が文言を修正した9条の論理的解釈に基づいてはいなかった。
集団的自衛権行使は合憲だ≫
 民主党野田佳彦氏と同様、自民党の多くの首相も、日本は集団的自衛権を行使する権利があると表明してきた。彼らは正しい。いつか憲法が改正され9条はもっと明快になるかもしれないが、現行の条文も集団的自衛権の行使は禁止していないのである。

 2009年に、国会は海賊対処法を可決成立させ、自衛隊ソマリア沖で日本の船舶(個別的自衛権)と外国の船舶(集団的自衛権)を海賊から守ることを認めた。
 11年の東日本大震災を受けては、日米の集団的な救援活動をより効率的かつ効果的なものにするため日米の統合本部が日本の3つの基地に編成されている(集団的自衛権)。
 安倍晋三政権は今月、海上自衛隊の艦船に対し、日本への脅威になり得ると見なされる北朝鮮のミサイルを撃墜する許可を与えた。最終的な攻撃目標が完全に判明する前にミサイルを迎撃することは、違法な集団的自衛行動になり得るという以前の見解を事実上否定したのである。

 合法ながら非現実的な1972年の決定に固執することは、芦田の9条から逸脱するだけでなく日本を危うくする。日本が集団的行動を取れずに、例えば、東京や大阪に落下することが観察されるまでは北朝鮮のミサイルを迎撃できないとなれば、数十万の日本人の命も徒(いたずら)に犠牲になりかねない。
 どの国においても、個別的、集団的自衛権のいずれも、国家安全保障の権限者による慎重な考慮なしには容認されない。
 しかし、妥当なものを含めてあらゆる集団的自衛権の措置を禁じることは、極めて有害であり危険である。
≪待ったなしの戦略的な決断≫
 慎重な決断により、内閣が政策を変えて日本は集団的自衛権を行使できると表明することは、憲法解釈の見直しではない。
 マッカーサー元帥が50年に、サンフランシスコ講和条約が51年に、砂川判決が59年に、それぞれ憲法は自衛を認めていると述べ、国連憲章も自衛を全加盟国の権利とうたっている通りに、憲法が本当に自衛を認めているのであれば、その旨の政策見解は、憲法を解釈し直すことでも憲法を曲げることでもない。
 それは戦略的な常識に基づいて、合法的のみならず現実的な政治的決断を下すことである。
 日本は52年に、憲法はいかなる防衛措置も禁止しているとした47年の見解を修正することにより、「占領」を終え、自衛は憲法上、認められているとの「マッカーサー2」の主張を受け入れた。
 2009年以降にソマリア沖で、11年の大震災後、そして今、差し迫った北朝鮮ミサイルの脅威に直面して、日本の指導者たちは憲法に反することなく、集団的に合理的に現実的に行動している。

 合法的であっても非現実的で政治的な1972年の国家安全保障政策の見解を、2014年に合法的かつ現実的で合理的な国家安全保障政策の見解に変更することは遅きに失するぐらいだ。