・吉田ドクトリンの「戦後体制」ではなく「日本」を保守する本来の保守を再建しなければならない。

・敗戦で主権停止の被占領期に、「吉田ドクトリン」が、主権回復後に至ってもなお、日本国を支配する基本テーゼであり続けていることに戦後日本政治の根本問題がある。
・「『吉田学校』の池田勇人佐藤栄作を経て宏池会と旧田中派に受け継がれ、『保守本流』の中核的理念として、自由民主党で大きな影響力を維持し続けている」
・「『保守本流』が保守しようとするものは『戦後民主主義』や『半独立軽武装路線』であって、国家の名誉や国体、歴史、伝統、文化、国益といったものではない。  そればかりか、領土や国民の生命・財産さえ保守すべき対象ではないのではないかと思わせられる場面に、しばしば遭遇する」
・岸が切歯扼腕(せっしやくわん)して語った言葉が引用されている。「制定の手続きにも間違いがあるし、内容にも誤りがある。あれは占領政策を行なうためのナニであった。その辺の事情を国民に十分理解せしめるという役割は、総理が担わないといけない。総理みずから改憲に意欲を持ったのは私が最後なんです」
・吉田ドクトリンの「戦後体制」ではなく「日本」を保守する本来の保守を再建しなければならない。






〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
日本を保守する「本来の保守」を 
2014.5.13 03:19  文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
 拓殖大学大学院教授で「正論」執筆メンバーであった遠藤浩一氏が、55歳の若さで急逝されてから4カ月程が経った。  その突然の死は、余りにも衝撃的だったので、この数カ月間その事実に対して言葉を失っていたが、過日偲ぶ会も行われ、少し心静かに受け止められるようになった。
 何回か氏と対談する機会を与えられた私は、平成24年5月に刊行された『戦後政治史論−窯変する保守政治1945−1952』の恵贈を受けていた。  専門分野のものではないので、まだ熟読していなかったが、やや心が落ち着いた現在、この最後の著作をじっくり読める心境になった。
≪故遠藤氏が指摘した問題≫
 被占領期の日本政治史を扱ったこの本は、敗戦国日本の戦後の保守政治というものが抱え込んだ根本問題を、幅広く資料を渉猟して鋭く分析した力作である。  この分野の本を余り読むことのない私は、戦後日本の政治史が明確な視点から詳細に描きだされているのでさまざまのことを教えられた。
 序章=「吉田ドクトリン」の正体 
▽1章=憲政の常道と政争 
▽2章=占領政策の転換と「吉田学校」の成立
▽3章=朝鮮戦争再軍備交渉
▽4章=講和と政治指導
▽終章=吉田から岸へ    −から成る本書は、
敗戦によって主権を停止していた被占領期に、吉田茂自身もそれと意識しないままに形成された「吉田ドクトリン」が、主権回復後に至ってもなお、わが日本国を支配する基本テーゼであり続けていることに戦後日本政治の根本問題があるとするものである。
 かつて永井陽之助は、この「吉田ドクトリン」を「戦後日本の正教」と讃えた。 これは、戦後日本を支配してきたドグマであり、これを法的に規定したのは現行憲法であった。  
 それに対して遠藤氏は、「吉田ドクトリン」が現在まで受け継がれていることを批判して「『吉田学校』の二人の嫡子・池田勇人佐藤栄作を経て宏池会と旧田中派に受け継がれ、『保守本流』の中核的理念として、今日なお自由民主党で大きな影響力を維持し続けている」「彼ら『保守本流』が保守しようとするものは『戦後民主主義』や『半独立軽武装路線』であって、国家の名誉や国体、歴史、伝統、文化、国益といったものではない。そればかりか、領土や国民の生命・財産さえ保守すべき対象ではないのではないかと思わせられる場面に、しばしば遭遇する」と書いている。
 「保守本流」が真の「保守」ではないというのが、戦後日本の悲喜劇なのであるが、鋭利で歯に衣着せぬ物言いは、福田恆存の徒としての氏の真骨頂であり、今日の日本に必要なのがこのような力強い言論であることを思うとき、その急逝が返す返すも惜しまれる。
≪切歯扼腕した岸元首相≫
 本書の副題の「窯変する保守政治」というのは、文学的才能も豊かだった氏らしい、実に鮮やかな表現である。
 「窯変」とは、陶磁器を窯の中で焼成中、素地や釉薬(ゆうやく)に変化が生じて色や形が変わることである。
 保守政治が保守する対象が、「日本」ではなくなり、「戦後体制」に変化してしまったことを指している。 だから、氏は、日本保守政治の黄金期を岸信介首相の時代に見る。   安全保障政策はもとより、外交、内政、経済、そしてそれらの大本にある憲法改正まで、すべての分野にわたって総合的な構想を示し、それを実現しようとしたからである。
 しかし、池田路線によって「保守政治の窯変」は再開・本格化してしまったのである。
 岸が切歯扼腕(せっしやくわん)して語った言葉が引用されている。「私が総理を辞めてから、あまりにもだな、池田および私の弟が『憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん』というようなことをいってたんでね。(中略)制定の手続きにも間違いがあるし、内容にも誤りがある。あれは占領政策を行なうためのナニであった。その辺の事情を国民に十分理解せしめるという役割は、総理が担わないといけないんです。総理みずから改憲に意欲を持ったのは私が最後なんです」

≪再び「窯変」のときを迎え≫
 そういう意味で、岸元首相の孫の安倍晋三首相が、「総理みずから改憲に意欲」を持つ首相として登場したのは、何か歴史的な宿命を感じさせる。 今や、日本という国家は、過酷な安全保障環境という極めて高温な「窯」の中で、再び「窯変」の時を迎えて真の「日本」に成ろうとしているのではないか。 日本人の「素地」は「再生」しつつあるし、時代思潮という「釉薬」も品質のいいものに変化して来た。
 この本の終章が書かれたときは、民主党政権であって「『戦後』は終わっていないのである」という言葉で結ばれている。
 氏の絶望感の深さを思いみるべきである。  だから、安倍政権に期待するところも大きかったに違いない。  それは、絶筆となった今年の正月3日の「正論」にもあらわれていた。  我々は、その遺志を継いで「戦後体制」ではなく「日本」を保守する本来の保守を再建しなければならない。(しんぽ ゆうじ)