・日本は平和な伝統国家として国造りにひた走り、世界の平和に貢献するのが唯一の道である。
・山本五十六はハーバート大学にも留学して、アメリカの油田や自動車産業、飛行機産業を広く見学して、アメリカの潜在戦力に強い印象を受けた。
・「日米戦うべからず」が山本の信念となり、米内光政、井上成美とともに日・独・伊三国同盟にも反対している。
・戦争指導をした東条英機首相に対する退陣要求は閣内では岸信介商工相、陸軍部内では石原完爾京都師団長らがいたが、いずれも解任、予備役編入で退任させられている。
・あの時期に終戦工作をしたら右翼に刺されていただろうと漏らしていた米内。 暗殺を怖れたのではない。 自分が死んだら誰が終戦工作をするのかという自負があった。
・日本が戦争放棄を宣言し、軍事国家から工業立国、貿易立国を目指した国造りは正しい。日本人の勤勉さによって世界第二の経済大国として復興したのだから、戦勝国のアメリカも日本を同盟国として重視せざるを得ない。
・海洋覇権の中国の軍事力強化はアジア各国の脅威となった。
・日本は平和な伝統国家として国造りにひた走り、世界の平和に貢献するのが唯一の道である。
〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
日本が平和国家として世界に貢献する
古澤襄 2014.11.15
敗戦国家の歴史的な定めなのだろうが、戦前を”悪”とし戦後を”善”とする歴史的な断絶がどこの国にもある。 国民を戦争に駆り立てたのは第一義的にはその国の為政者だったから、それを国民が糾弾するのは間違っていない。
だが同時に戦争の相手国にも、戦争責任がある筈であろう。ましてやアメリカは広島、長崎に原子爆弾を投下して無辜の市民を大量殺戮した非道な責任は永久に消えるものではない。
多くの国家は敗戦の無力感から立ち直り、新しい平和な自立した国家像を目指して立ち直っている。 敗北によって復讐心からヒトラーのナチス・ドイツという異質の国家を招いた例外もあるのだが・・・。
これも戦勝国が敗戦国・ドイツの再起を怖れて戦後に途方もない賠償金の支払いを科した結果、第一次世界大戦後のドイツの社会・経済が戦前以前よりも混乱の坩堝と化している。
ヨーロッパは小国がひしめき合う国家の混合体だから、それぞれがナショナリズムに目覚めて小さな戦争を起こし安い歴史を重ねてきている。 それが二国間の戦争にとどまらずヨーロッパ全土を巻き込む世界大戦になってしまったのは、第一次世界大戦が初めての経験だった。
二度とこのような戦争を招いてはいけないと強国だったドイツを徹底的に弱体化させた戦勝国がかえってヒトラーという化け物の台頭を招いて第二次世界大戦が勃発しヨーロッパ大陸全土をナチス・ドイツが蹂躙した。 ヒトラー・ドイツの機械化兵団の目覚ましい戦勝ぶりに日本は酔い、日・独・伊三国同盟を締結している。
日本海軍は太平洋でアメリカ海軍を上回る海軍力を保持していた。しかしアメリカは太平洋と大西洋に二分した海軍力を配置しなければならない。 ひとたび日米戦争が起これば、全工業力を戦時体制でフル稼働させる潜在力を持っている。
アメリカに駐在した山本五十六はハーバート大学にも留学して、アメリカの油田や自動車産業、飛行機産業を広く見学して、アメリカの潜在戦力に強い印象を受けた。
「日米戦うべからず」が山本の信念となり、米内光政、井上成美とともに日・独・伊三国同盟にも反対している。
しかし海軍は日ロ戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を撃滅した東郷平八郎元帥を神格した「艦隊派」が力を持っていて、山本や米内、井上の良識派は海軍部内では力を得ていない。
戦争指導をした東条英機首相に対する退陣要求は閣内では岸信介商工相、陸軍部内では石原完爾京都師団長らがいたが、いずれも解任、予備役編入で退任させられている。
古澤元の遺書ともいうべき「留守居覚え書き帳」には6月末の記には「サイパン危うしと」と筆書きに短く書いていた。
サイパン全員戦死の大本営発表があったのは昭和19年7月18日。半月以上も前に情報があった。18日のこの日、東条下野の報が東京警視庁の特高警察からもたらされた。
7月19日の日記には
政変ありて貴顕の往来繁き如し。会長(橋本欣五郎)11時、殿下(小田原で療養中の秩父宮か)に閲す。 秘策の抜本策につき具申説明すと。海軍に於ける米内光政大将の存在、殊に目立つ。(すでに終戦工作が皇族にまで及んでいた。 病床にあった秩父宮に代わって高松宮の名が浮上していた)
比島より寺内、朝鮮より小磯、上京すとの報あり。 寺内より小磯首班となるべしの下馬評高し。 夕刻、東条自刃の報入るも未だ不確実なり。 しかし、現実には如何に・・・と結んでいる。
いずれも東京警視庁の特高警察の情報であろう。驚くほど正確で速報を得ている。東条の支配下にあった東京憲兵隊に対する対抗意識が窺える。
米内に戦争終結の期待を繋いだが固辞されていた。 米内は海将として小磯内閣に入閣したが「新内閣は戦争継続内閣であって、休戦和平は次の内閣に委ねべき」と小磯内閣の限界を見抜いていた。
終戦の聖断は昭和天皇によって行われなければ、軍部を押さえられられないと見ていた。一内閣の力では限界がある。
盛岡に行くと終戦に当たって力を尽くした米内光政海軍大将の墓を詣でることにしている。 あの時期に終戦工作をしたら右翼に刺されていただろうと漏らしていた米内。 暗殺を怖れたのではない。 自分が死んだら誰が終戦工作をするのかという自負があったと解している。
サイパン玉砕は東条退陣の転機となったが、それでも陸軍部内には徹底抗戦論が大勢を占めていた。昭和天皇の聖断があると聞いて録音版を奪うクーデターが暴走軍人によって行われ、皇居を預かる近衛第一師団長森赳中将を殺害して皇居を占拠した事件も発生した。
日本にとって初めての敗戦だったから、GHQによって完全占領された戦後の傷跡は深く、そこから立ち直り自立国家への道のりは遠く長かったといえる。
日本が戦争放棄を宣言し、軍事国家から工業立国、貿易立国を目指した国造りは正しい。日本人の勤勉さによって世界第二の経済大国として復興したのだから、戦勝国のアメリカも日本を同盟国として重視せざるを得ない。
だが日米戦争後、米ソ冷戦時代になって日本を軍事同盟国として期待し、その道を除々に進めてきたのは、まぎれもなくアメリカの方である。 日本は自立した平和国家を目指してきたが丸腰では危うい。応分の自衛力を備えるのは、また当然のことではないか。とくに海洋覇権を中国の軍事力強化はアジア各国の脅威となった。
安倍首相が経済再建の選択をしたのは、祖父・岸信介の軌跡から会得した結論なのだろう。ならば経済再建でアベノミックスが曲がりなりにも動きだしたら、自信を深めた日本がアジアの盟主として政治・軍事で大国の道に突き進むのではないかとロイターは懸念を示している。
日米戦争で敗戦の憂き目をみた日本がその愚かさを骨の髄まで味わった。
自衛力は漸増するが、他国に侵略戦争を仕掛けることはあり得ない。
それは国民が許さないであろう。
日本は平和な伝統国家として国造りにひた走り、世界の平和に貢献するのが唯一の道である。