・中部区間で、記録が残されていないが、1000年前後に M8前後の地震が

日本アルプスは、地質学者によれば、日本列島の中央に位置する活断層糸魚川―静岡構造線に沿っている。
地震被害に遭った住民は「これまではヨク揺れの地震が何度か経験しているが、初めてズーンと突き上げるタテ揺れだった」と述べている。
・将来的に中部区間では、今後数百年以内にM7.5?8.5規模の地震が発生する可能性が高い。
・牛伏寺断層を含む中部区間では、約1000年おきに、M8程度の規模の地震が発生してきた。
・中部区間で、記録が残されていないが、1000年前後に M8前後の地震
あったのではないか?   だとすれば、中部区間で大地震がいつ起きてもおかしくは無い!










〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
日本アルプスに沿った糸魚川―静岡構造線     
古澤襄   2014.11.24
 事実上の選挙戦に入った最中の長野県北部地震だから、新聞やテレビも地震一色。 与野党とも選挙の派手な舌戦は控えざるを得ない。そうこうしている中に公示日の12月2日が迫ってきている。
  個人的にもやはり長野県北部地震。 選挙へ関心はしばらく脇に置いている。 
 私は曾祖父・為田文太郎が北アルプスの登山道開発の先駆者として名を残しているので、太古の昔に造られた日本アルプスの関係資料を読んでいる。
 この日本アルプスは、地質学者によれば、日本列島の中央に位置する活断層糸魚川―静岡構造線に沿っているという。
  糸魚川―静岡構造線は1918年に東北帝国大学(現・東北大学)の地質学者・古生物学者である矢部長克氏(1878年〜1969年)によって提唱された。 しかし歴史的な資料が乏しいので、活動歴には不明点が多い特徴がある。
  政府の地震調査委員会は23日、臨時会を開き、活断層糸魚川―静岡構造線の北部に位置する「神城断層」が動いた可能性が高い、とする見解を発表した。
  活断層が動いたとみられる長野県北部地震は規模そのものは30キロぐらいの小規模なもので、大断層線である糸魚川―静岡構造線の一部が動いたとされている。
  北部の「神城断層」の活動が、今後、断層の南側に延びるマグニチュード(M)8級の地震が想定されている活断層への影響について、専門家は注意が必要と指摘する。
  地震被害に遭った住民は「これまではヨク揺れの地震が何度か経験しているが、初めてズーンと突き上げるタテ揺れだった」と述べている。やはり糸魚川―静岡構造線の南線についても警戒を怠るわけにはいかない。

糸魚川―静岡構造線
  糸魚川静岡構造線(いといがわしずおかこうぞうせん、英: Itoigawa-Shizuoka Tectonic Line, ISTL)とは、親不知(新潟県糸魚川市)から諏訪湖を通って、安倍川(静岡市駿河区)付近に至る大断層線である。
  略称は糸静線(いとしずせん)。全長は140?150kmで、北は長野県小谷村付近から南は山梨県南アルプス市付近に達し、「北部」(神城断層、松本盆地東縁断層)、「中部」(牛伏寺断層、諏訪断層群、岡谷断層群、釜無山断層群)、「南部」(白州断層、下円井断層、市之瀬断層群)の3つの断層帯で構成される。
  山梨県早川町新倉には糸魚川静岡構造線の逆断層の露頭があり、2001年に「新倉の糸魚川-静岡構造線」として国の天然記念物に指定された。  また、2007年には、糸魚川と早川の糸魚川静岡構造線が日本の地質百選に選定された(「糸魚川-静岡構造線(糸魚川)」と「糸魚川-静岡構造線(早川)」)。=(ウイキペデイア)

地震活動歴と将来の活動
  歴史上に残る活動歴が少なく、内陸地震のためプレート境界型地震による津波のような特徴的な痕跡が残らないことから活動歴は不明点が多い。
  歴史に記録されている最古の地震は、北部区間での762年の小谷付近 M7.0?M8.0程度と考えられており、牛伏寺断層を含む中部区間では、約1000年おきに、M8程度の規模の地震が発生してきたと考えられている。
  将来的に中部区間では、今後数百年以内にM7.5?8.5規模の地震が発生する可能性が高いと考えられている。
  古地震の記録は残っていないが、長野県塩尻市での発掘調査により、7000年前から2000年前までに複数回および3世紀(255年頃)と7世紀(645年頃)に活動をしたと考えられる痕跡が発見されている。
 1847年の善光寺地震以降は20年から25年周期の活動がみられるが日本海東縁の地震活動と密接な関連がある。(出典:気象庁精密地震観測室資料および理科年表による(前震、余震は除外。震源域の地名は現在のもの))

762年 美濃・飛騨・信濃  - M7.0以上
841年 松本、東経138.0° 北緯36.2°付近  - M6.5
1714年4月28日 震源白馬村付近、東経137.85° 北緯36.7°、死者100。善光寺でも被害有り  - M6程度
1725年8月14日 高遠・諏訪 東経138.1° 北緯36.0°付近 - M6.0?6.5
1791年7月23日 松本市付近 東経138.0° 北緯36.2° - M6.7程度 松本城で塀が壊れる。
1855年3月18日 飛騨白河 東経136.9° 北緯36.25° - M6.7
1858年4月23日 信濃北西部、大町市白馬村の境界付近 東経137.9° 北緯36.6° - M5.7
       飛越地震(4月9日)で生じた常願寺川河道閉塞部の決壊による洪水の原因。
1890年1月7日 15時43分頃。生坂村から長野市大岡樋ノ口沢付近、東経138.0° 北緯36.5° - M6.2
1898年 山梨県身延町付近を震源 - M5.9
1918年11月11日 『大町地震』2時59分 - M6.1 / 16時04分 - M6.5、震源大町市南鷹狩山付近、東経137.9° 北緯36.5° 185        8年の地震と区別するため、大正大町地震とも呼ばれる。
1986年12月30日 9時38分 - 旧美麻村、小川村、信州新町の境界付近で糸魚川静岡構造線長野盆地西縁断層及び千曲川構造線       のそれぞれの延長がぶつかる地域において発生 - M5.9
2011年6月30日 8時16分 - 長野県中部地震 長野県松本市 東経137°33.4′ 北緯35°49.5′ - M5.4
2014年11月22日 22時8分 - 長野県北部 東経137°53.4′ 北緯36°41.5′ - M6.7[9]=(ウイキペデイア)