・間もなく迎える平成27年が、日本国にとって、希望明るい良い年であるとともに、世界に平和が訪れますように。

・初詣は世界でも最大級の祭事だ。クリスマスしのぐビッグイベント・元旦
・正月気分を満喫できる日本の元旦こそ格別で、「終わりなき世のめでたさを祝う行事」は、神道の教義とか宗教的儀式を超越した厳かで特別なものだと思えるのです。
・1月1日こそが祖国と先祖崇拝の日となっている。
・富士山を初めてご覧になったのは明治天皇で、東京遷都の途次、三島の宿で心行くまで眺められた。
・サンタクロースのモデルは現在のトルコの地で4世紀に司教を務めていた聖ニコラウス。
・間もなく迎える平成27年が、日本国にとって、希望明るい良い年であるとともに、世界に平和が訪れますように。









〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
2014.12.24 07:00更新
【日本千思万考】
「終わりなき世のめでたさ」祝う元旦こそ日本人らしい 世界の二大祭事、クリスマスと元旦を考える
【日本千思万考】
初詣は世界でも最大級の祭事だ
クリスマスしのぐビッグイベント・元旦
 外国暮らしが長かった関係で、外地で30回新年を迎えましたが、アメリカやカナダであれ、旅先でのカリブ海リゾートであれ、欧州・アフリカであれ、いつも感じるのは、クリスマスの宴の後で、なんともいえないわびしさです。
 それに引き換え、日本人が毎年のように元旦に神社仏閣へ詣でる人が全国で数千万人にも及び、中でも有名社寺では数百万人にも達するといいますから、これはおそらく世界最大級の祭事といえそうです。欧米の有名教会でも、クリスマスに一教会に数百万を越える人が集まるなど、聞いたことがありません。
 やはり、正月気分を満喫できる日本の元旦こそ格別で、「終わりなき世のめでたさを祝う行事」は、神道の教義とか宗教的儀式を超越した厳かで特別なものだと思えるのです。
先祖崇拝の日:
 元来、正月とは、氏神様を迎え入れて祝う行事に始まるとの説があります。 古来神道では、神様は常緑の高木に宿るとされ、門松や松飾りは、氏神様の降臨するときの目印であるとされたのです。
 つまり、日本人の年初の神社仏閣参詣行動規範に鑑みれば、1月1日こそが祖国と先祖崇拝の日となっているように思えます。明治時代に定められた旧紀元節、すなわち「2月11日の建国記念日」よりは、元旦の方が日本人の生活感情に合致するのではないかと考えられます。
 そもそも「紀元節」とは、日本書紀に書かれている初代神武天皇即位の日(大陰暦)を、当時の学者が、太陽暦に振り替えて割り出した概算による祝日の制定であり、神話伝説上での、「即位は元旦であったのではないか」とする説もありやと聞き及んでいます。 例えば、キリスト教の教会暦は古代ケルト人が祝った冬至の日を、4世紀のローマ法王がキリスト降誕の日=クリスマスとして、これを祝うことになったように、多くの民族では、最も重要な日を祝日にしているわけですから、日本人がこぞって祝う元旦こそ建国記念日にふさわしいのではなかろうかと思う次第です。
 元旦のご来光を拝もうと、富士山や近隣の山へ登る人もいれば、海岸や岬で初日の出を待つ人もいます。こうした習慣は比較的新しく、江戸時代の裕福な町民などの風習が明治維新後、各層に広まり、全国津々浦々の庶民にまで普及したのは、どうも大正から昭和初期以降のことだそうです。ところで、歴代の天皇陛下のうち、富士山を初めてご覧になったのは明治天皇で、東京遷都の途次、三島の宿で心行くまで眺められたようです。  従って生涯を通じて、多くの御製に、日の出や富士山を詠いこんでおられます。 天皇のみならず、日本国民の皆に、こうした思いが広がったようです。
サンタクロースと福引き:
 ところで、クリスマスと元旦に欠かせない風習をそれぞれ一つずつあげてみよといわれたら、なんといっても「サンタクロース」と「福引き」でしょう。
 まずサンタクロースですが、そのモデルは現在のトルコの地で4世紀に司教を務めていた聖ニコラウスとされ、学生を死から目覚めさせたり、結婚のしたくができない姉妹に窓から財布を投げ恵みを与えたりという慈悲深い聖人伝説の持ち主で、困窮者たちの守護聖者とされた人です。
 やがてオランダやスイスで、「良い子にはニコラウス聖人が贈り物を持ってくるよ」と教えながら、両親が子供たちにプレゼントを贈る習慣が広まり、それが新大陸へ移民したオランダ人によってアメリカのニューヨークへ伝わりました。 当初はオランダ語で、「シントクラウス」と称されましたが、いつの間にか米語の「サンタクロース」と変わり、クリスマスの贈り物の風習とも結びついて、クリスマスイブの行事となっていったといいます。
 クリスマスのプレゼントは「靴下の中」に入れていくとされますが、これは、サンタクロース伝説のうち、前にも記した貧しい姉妹のために窓から投げ入れた財布が、たまたま姉妹が暖炉の前に干してあった靴下の中へ入ったという民間伝説からきているようです。
 一方、福引きは、俳句で「新年」の季語ですが、今では正月セールにおける商店街の福引きのみならず、年中行事のようになってしまっております。 しかし、季語になっていることからも、本来は新年と極めて関係深いものだったのです。
 その昔、正月に二人でモチを引っ張り合い、ちぎれた餅の大小によって、その年の禍福を占った風習があり、これを「福引き」と呼称し、のちにこれが、多くの綱に諸々の物品を付け、引き手にはそれを隠した上で、中身を当てさせる遊びに変化していったそうです。
 やがて、室町時代から江戸時代にかけて、これが正月の遊びとして定着したものを「宝引き」と呼んでいましたが、これがさらに変化して、クジを引かせて景品を分け与える現在の福引の様式が生じたようです。
 とめどない話になりましたが、最後に間もなく迎える平成27年が、日本国にとって、希望明るい良い年であるとともに、世界に平和が訪れますように祈り上げます。
上田和男(こうだ・かずお)
昭和14(1939)年、兵庫県淡路島生まれ。37年、慶応大経済学部卒業後、住友金属工業(鋼管部門)に入社。米シラキュース経営大学院(MBA)に留学後、45年に大手電子部品メーカー、TDKに転職。米国支社総支配人としてカセット世界一達成に貢献し、57年、同社の米ウォールストリート上場を支援した。その後、ジョンソン常務などを経て、平成8年(1996)カナダへ亘り、住宅製造販売会社の社長を勤め、25年7月に引退、帰国。現在、コンサルティング会社、EKKの特別顧問。