「太子党」の軍高官らが再浮上

・基本的に「政権は銃口から生まれる」(毛沢東)ように、暴力装置というパワーを掌握する者が権力を握るのは古今東西、世の倣(なら)いである。
・外交上の先輩格は国務委員(副首相クラス)に昇格した楊潔チ(前外相)と唐家旋だが、ふたりとも習近平からは距離を置かれている模様だ。
・劉源と劉亜洲が「習のプライベート・シンクタンク」だという。ウィリー・ラムは香港を拠点とする著名なチャイナウォッチャーである。
・劉源は、劉少奇の息子。 劉亜洲は李先念の女婿。太子党出身の軍人ゆえ、つねに軍のなかで枢要なポストを占め、重視されてきた。
・軍高官の失脚は34人(15年四月末現在)におよび、江沢民派の軍人高官がほぼ居なくなった。
南シナ海の中国軍の行動は、上記国際貢献とは矛盾しており、スプラトリー諸島南沙諸島)の埋立はすでに二万平方キロ、昨年末から四倍に膨張しており、ペンタゴンは「郡民の作戦拠点に使える規模」である、ミサイルや駆逐艦の増強ぶりからも中国の戦略である「A2/AD」は達成可能なレベルにまで建築、軍拡が進捗している。











〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
内規が次々と破られ、変身する中国共産党人民解放軍   
宮崎正広  2015.05.11
■軍高官の外国訪問は外国での軍事展開の頻度に比例して増えた
 米国は中国の最近の軍事戦略の変化を「ゲーム・チャンジ」と位置づけ、その中枢にある考え方は「A2/AD」(接近阻止・領域拒否)にあると見ている。
軍事評論家は、南シナ海の九等線を「サラミ作戦」とも命名している。
 オバマ政権の対応が「アジア・リバランス」と「ピボット」だったことは従来も述べてきた。
  中国軍にはいくつかの内部規定があり、これまでは次のポイントが厳格に守られてきた。
 第一に軍事委員会メンバーの外国訪問は年に一回
 第二に国際会議への出席を除き、軍高官は同じ国を二度訪問しない
 第三に外国からの同じ高官との面会も二度はない
 第四に国防大臣は相手国の同格の賓客をもてなす必要はない。
 第五に軍高官の外国訪問、あるいは外国からの軍高官の受け入れは時期が限定される。
 ところが近年、ソマリア沖の海賊退治への中国海軍の派遣から、国連軍への派兵協力に応じるようになり、同時に中国艦船の外国訪問は50回を越えた。
 また外国海軍の中国の港湾へ親善訪問も100回を超え、外国軍との共同軍事演習(とくに露西亜と)も頻度が激しくなった。
 あまつさえ中国軍が主催する国際会議や学術シンポジウムが頻度激しく行われるようになり、外国の中国大使館への駐在武官派遣もいまでは108ヶ国に及んでいる(日本の駐在武官は九ケ国のみ)。
 こうなると中国の軍人も或る程度の国際常識を理解し始めたことを意味する。 かくして中国軍の「国際化」とでもいえる微妙な変化に注目しておく必要がある。

▼「太子党」の軍高官らが再浮上した背景
 ならば軍事委員会主任の習近平に近く、もっとも影響力がある軍人とは誰だろう。
  表面的ランクから言えばナンバーツーは許基亮と氾長龍である。ともに団派に近く、胡錦涛が任命した人事である。
 したがって習近平にとっては煙たい存在である。
  最近の中国の特色は外交方針に軍人の意見が強く反映されるようになったことだ。
  習のいう「中国の夢」のイデオローグは、外交安全保障面では王炉寧、栗戦書らと推定されるが、軍人アドバイザーは軍事委員会のメンバーではなく、「太子党」の先輩らである。
 げんに中央委員会には軍人が二人の指定席があるのに、外交部からの中央委委員は不在である。 
 外交部は、江沢民系の人々が多いため、軍とはしっくりいっておらず、同時に相互不信、相互軽蔑。
  外交部の外交官等は知識力において軍を馬鹿にしており、軍は軍で頭でっかちの理論家を軽蔑している。
 しかし基本的に「政権は銃口から生まれる」(毛沢東)ように、暴力装置というパワーを掌握する者が権力を握るのは古今東西、世の倣(なら)いである。
  日本のメディアが発言に注目する王毅外相は中央委員にも入っておらず党内序列はきわめて低い。
 そのうえの外交上の先輩格は国務委員(副首相クラス)に昇格した楊潔チ(前外相)と唐家旋だが、ふたりとも習近平からは距離を置かれている模様だ。
となると、誰が軍事方面での助言を習にしているのか。
  一時は影響力を削がれていたと観測された(とくに胡錦涛時代に)劉源と、劉亜洲が習近平のブレーンとして復活しているようである(ジェイムズタウン財団「チャイナブリーフ」15年4月3日号)。
  同誌に寄稿したウィリー・ラムに拠れば、この劉源と劉亜洲が「習のプライベート・シンクタンク」だという。ウィリー・ラムは香港を拠点とする著名なチャイナウォッチャーである。
  劉源は、劉少奇の息子。 劉亜洲は李先念の女婿。太子党出身の軍人ゆえ、つねに軍のなかで枢要なポストを占め、重視されてきた。
  劉源は「進軍ラッパ」的な軍国主義的発言を抑制させ、いま戦争をおこすような誤解を与える強硬発言をたしなめてきたが、「軍事力のないリッチな国とは、すぐに処分される太った羊だ」と比喩し、中国軍の軍拡を支持する一方で、暗に日本を批判した。
  劉亜洲は「反日」軍人のトップであり、恒に強硬発言で知られるが、軍のなかで、浮き上がった存在とされた。
▼現実の世界をようやく認識できた
 軍の人脈構造が変化した最大の理由は江沢民派の軍人らの総退場である。
  胡錦涛時代の十年間、江沢民は軍を抑えることによって「院政」を行えたのだ。
 しかし江沢民が入退院を繰り返し、パワーが弱体化するようになると、江沢民に連なる軍高官の「悪運」もつきた。
前副主任の徐才厚郭伯雄が失脚したが、とくに徐才厚は三月に死去し、郭伯雄は息子の郭正鋼が(浙江省軍区副政治委員)の取り調べを受けて以来、周囲を埋められてから、失脚が発表された。
 軍のなかで反抗する勢力を、気がつけば失っていた。
  軍高官の失脚は34人(15年四月末現在)におよび、江沢民派の軍人高官がほぼ居なくなった。
 こうした状況を踏まえた習近平は次に軍高層部の側近を支える副官クラス、オフィスの書記クラスを自派に配置換えし、団派である許基亮、氾長龍そして総参謀不調の房峰輝の動きを睨むことにした。
 そのうえで、モスクワの軍事パレード参加には氾長龍を随行させる次第となった。
 そして軍の中に顕著な変化が現れた。
  依然として「国軍化」議論はタブーだが、軍事メディアや『環球時報』に寄稿した王ゼンハン(前南京軍区副司令。音訳不明)などは、(党中央がいうような)「日本に軍国主義が復活することは不可能である。中国の軍理論は現実を対応していない。理論上の虚偽である」と言ってのけ、もっと現実的な外交的努力をするべきと訴えた(環境時報、14年10月9日、ならびに解放軍報、15年1月29日)
 こうしてハト派のような現実的な理論が軍にも登場した背景には国際貢献がある。
  PLAは、近年も海賊退治、エボラ熱発生時の外国人退去支援、マレーシア航空機行方不明捜査協力、そしてシャングリア対話への積極的参加を、その国際的な機関や、作戦への協力体制ができあがった。
  四月のネパール大地震でも、真っ先に救援隊を派遣し、印度と援助を競った。
 とはいえ、南シナ海の中国軍の行動は、上記国際貢献とは矛盾しており、スプラトリー諸島南沙諸島)の埋立はすでに二万平方キロ、昨年末から四倍に膨張しており、ペンタゴンは「郡民の作戦拠点に使える規模」である、ミサイルや駆逐艦の増強ぶりからも中国の戦略である「A2/AD」は達成可能なレベルにまで建築、軍拡が進捗している。