・中東の宗教地図はすっかりスンニ派になり、そのうえ原油代金は下落し、イラン経済を直撃した。

・イラン(シーア派)はすっかり周囲を敵に囲まれたことに気がついた。
・国家戦略とは軍事力、経済力を総体比較し、さらに合理的な自己洞察、自己評価、そして懸命な方策により生き残りの道を考えるのが戦略的発想の基本である。
・自己の革命思想の成功と誤断し、ナショナリズムによって狂信的な思想をイスラム圏に輸出し始める。世界はイランを嫌った。
・イランの強気戦略はチュニジアから破綻が始まった。
・イランはアサド政権にテコ入れを強化しつつ、ガザへの武器搬入を活発化した。イランへの警戒心を高めたのがサウジアラビア、UEA、そしてトルコだった。
スンニ派の跳ね上がりISがシリアからイラクへ南下し、欧米でもテロリズム活動を展開するや、世界のイランをみる目がすっかり変貌した。
・中東の宗教地図はすっかりスンニ派になり、そのうえ原油代金は下落し、イラン経済を直撃した。












〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
シーア派過激思想はまわりをスンニ派に取り囲まれた   
宮崎正広   2015.11.17

■イラン、戦略の調整期――現状は明王朝の末期に似てきたか
 気がつけば四面楚歌。項羽が慌てたように、イランはすっかり周囲を敵に囲まれたことに気がついたのではないか。IS(イスラム国)とて、イランのシーア派には敵対的である。
  国家戦略とは国力が基本となって、その軍事力、経済力を総体比較し、さらに当該国家の国民の意思力による。 合理的な自己洞察、自己評価、そして懸命な方策により生き残りの道を考えるのが戦略的発想の基本である。
 イランはホメイニ師を仰ぐイスラム革命の成功に酔って、テヘランの米国大使館になぐりこみ、長期に人質をとって米国と敵対した。
悪魔の詩』の作者、サルマン・ラシディに死刑判決を出し、世界各地にテロリストを送り込んだ。日本でも翻訳者が殺害された。
棚からぼた餅の革命だったのに、自己の革命思想の成功と誤断し、ナショナリズムによって狂信的な思想をイスラム圏に輸出し始める。世界はイランを嫌った。
 イランの国家戦略の第一期調整はイラン・イラク戦争による。
 ホメイニ師の死去にともない穏健派のラフサンジャニ師の政権ができると、より合理的な路線を歩み始める。
当面の国家目標はイラン・イラク戦争ですっかり疲弊した経済の再建と合理主義的な諸政策の立案で、外交的な路線に調整が見られた。
 ペルシアの伝統とイスラムの正統性を堅持しながらも、耐久の時代だったと総括できるかも知れない。
 とは言っても米国とイスラエルの敵対路線は変更がなかった。
 つぎなるイランの調整期はオサマ・ビンラディンの登場だった。
米国を襲った同時テロを受けて、イスラムの影響力の高まりとともにイランは核武装を志向し、ナタンズなどに核施設を建設する。
 ハタミ政権では伝統的なイスラムへの回帰が見られ、外交は原則的な調整が利かなかった。
 イランは露骨に地域覇権を志向していると見られたが、これらは原油代金の高騰という背景があり、経済の回復とともに実現が可能だった。
 そして狂信的なアーマドネジャット政権は真っ向から西側に挑戦をいどみ、その勇ましきナショナリズムが国内でさえ孤立していたことを指導者は気がつかなかった。知識人は親西側ではないが、もうすこし合理的は判断ができる知識人が主流だった。
 しかし、エネルギー枯渇の中国、印度がさかんにイランから原油を輸入したため、経済力に余裕が生まれ、イランはSCOを積極的に活用しながら、周辺諸国への影響を浸透させる一方で中南米、アフリカ諸国へも進出を果たす。
 こうしたイランの強気戦略はチュニジアから破綻が始まった。
第三の調整は「アラブの春」である。
各地でシーア派や過激派が跋扈し、その「民主革命」に失敗する段階で、イランはアサド政権にテコ入れを強化しつつ、ガザへの武器搬入を活発化した。
 これですっかりイランへの警戒心を高めたのがサウジアラビア、UEA、そしてトルコだった。
 スンニ派の跳ね上がりISがシリアからイラクへ南下し、欧米でもテロリズム活動を展開するや、世界のイランをみる目がすっかり変貌した。
中東の宗教地図はすっかりスンニ派になり、そのうえ原油代金は下落し、イラン経済を直撃した。イランはパラノイア的な狂信的シーア派思想の輸出を中断し、より穏健で合理的な道を歩む必要が求められた。
自制的で、合理的な外交政策を選択しなければ、「かつて明王朝は外敵から身を守るために万里の長城を築き、鎖国した結果、文化伝統の高揚はあったが、相対的な力の衰退を招き、ある日、満州族に政権を奪われた。
 この歴史のパターンが示すように、イランの周りがスンニ派の世界に変貌したことを甚大な危機として認識し始めた」(ケビン・リン、中東アナリスト、『ナショナル・インタレスト』誌、11月16日)。
 とはいえ世界はイランへの警戒感を緩めず、サウジアラビアはロシアに接近して外交上の挽回をはかり、欧米は中東の不安定化をおそれ、しかも原油代金は依然として低迷している。
輻輳する諸情勢のなか、いまや中東の政治地図はイスラエル vs パレスチナはすっかり色あせて傍流となった。