・日越両国の防衛協力は、緊張高まる地域の平和と安定に大きく貢献

・日本とベトナムは安全保障分野で急接近しており、これはアジアにおける安全保障枠組みのパラダイムシフトの象徴
日露戦争での日本の勝利が、植民地支配に苦しむアジアの人々を奮い立たせ、独立の機運を生んだのだ。
大東亜戦争終結しても、なお約800人の日本軍将兵ベトナムに残り、その多くがベトナム独立のために、インドシナ支配を再びもくろむフランス軍と戦ったのである。
クアンガイ陸軍中学は、ベトナム全土から選抜されてやってきた青年が、実戦経験豊富な日本人教官から日本陸軍の戦術をはじめ指揮統制要領を学んだ。
・現代ベトナム軍の基礎は旧日本陸軍によって作られたのである。そして元日本兵が最前線でベトナム人を率いて戦った。
・第1次インドシナ戦争ではフランス軍との戦闘で多くの日本人が戦死している。
・中には、その後のベトナム戦争アメリカ軍と戦った者もいたとみられている(『世界に開かれた昭和の戦争記念館』展転社)。
ベトナムの日本への親近感は、アジアで両国だけが強大なアメリカを相手に戦い、そして現在は、東シナ海南シナ海で軍拡著しい中国とそれぞれ対峙(たいじ)するなど、安全保障上の共通点に因るところも大きい。
・日越両国の防衛協力は、緊張高まる地域の平和と安定に大きく貢献することになろう。









〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.12.11 05:02更新   【正論】
歴史共鳴する日越の連帯強化を ジャーナリスト・井上和彦

 先月、ベトナムを訪問した中谷元(げん)防衛相は、同国のフン・クアン・タイン国防相と会談した。そこで、人道支援・災害救援のための海上訓練の実施や防衛装備・技術協力に関する協議、さらには将来のカムラン湾海軍基地への海上自衛隊艦艇の寄港など、日越防衛協力の強化を図っていくことで一致した。
 近年、日本とベトナムは安全保障分野で急接近しており、これはアジアにおける安全保障枠組みのパラダイムシフトの象徴といえよう。政府は、ベトナムへの能力構築支援として潜水医学に関するセミナーの実施のほか、巡視船を供与するなど、ベトナム南シナ海での哨戒能力向上のために具体的な支援を始めている。
 一方、ベトナムは7月に安全保障関連法案が衆院で可決されると、すかさず支持を表明し、今後の日本の地域に対する平和への取り組みに期待を寄せた。

≪人々の記憶に残る「東遊運動」≫
 そんなベトナムは、もとより東南アジアでも指折りの親日国家で、国民の対日感情はすこぶる良い。ところがベトナム共産党一党独裁による社会主義国であり、同盟国・アメリカが介入したかつてのベトナム戦争の強烈な印象が「ベトナム親日国」という実体の認識を阻んできた。
 ベトナムが日本への憧憬を抱いたのは日露戦争に遡(さかのぼ)る。日露戦争での日本の勝利が、植民地支配に苦しむアジアの人々を奮い立たせ、独立の機運を生んだのだ。
 当時のベトナム独立運動家だったファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は、ベトナムの人々に「日本に行き、そして学べ」と呼びかけ、ベトナム人の日本留学運動である「東遊(ドンズー)運動」が始まった。
 かくして多くのベトナム人が日本に渡り、それと同時にハノイには「東京(トンキン)義塾」がつくられ、近代化教育が施された。
 ところがインドシナを統治するフランスの圧力によって、日本政府は在日ベトナム人を帰国させることになった。それでもベトナム人の日本への憧れは潰(つい)えることがなく、いまでもホーチミン市にはドンズー通り、ファン・ボイ・チャウ通りなどがあり、日本との強い絆の記憶が語り継がれている。

≪独立のために戦った元日本兵
 もう一つ、日本ではあまり知られていない日越交流秘話がある。1945年8月15日、大東亜戦争終結しても、なお約800人の日本軍将兵ベトナムに残り、その多くがベトナム独立のために、インドシナ支配を再びもくろむフランス軍と戦ったのである。
 同年9月2日、ベトナム民主共和国の独立を宣言したホー・チ・ミンは、日本軍の兵器の譲渡を求め、残留日本軍将兵らにベトナム人指揮官の養成を願い出た。
 かくしてベトナム中部クアンガイに、グエン・ソン将軍を校長とする指揮官養成のための「クアンガイ陸軍中学」が設立された。この学校は、教官と助教官が全員日本陸軍の将校と下士官というベトナム初の「士官学校」であった。
 クアンガイ陸軍中学は、ベトナム全土から選抜されてやってきた青年が、実戦経験豊富な日本人教官から日本陸軍の戦術をはじめ指揮統制要領を学んだ。
 フランス軍は目を疑ったに違いない。少し前まで非力だったベトナム人が、見違えるように強くなり、しかも見事な近代戦を挑んできたのだから。
 現代ベトナム軍の基礎は旧日本陸軍によって作られたのである。そして元日本兵が最前線でベトナム人を率いて戦った。第1次インドシナ戦争ではフランス軍との戦闘で多くの日本人が戦死している。中には、その後のベトナム戦争アメリカ軍と戦った者もいたとみられている(『世界に開かれた昭和の戦争記念館』展転社)。

≪中国と対峙する共通点≫
 こうした元日本軍将兵の貢献が、ベトナム人を感動させ、この国の対日感情に影響を与えたことはいうまでもなかろう。
 ベトナムの日本への親近感は、アジアで両国だけが強大なアメリカを相手に戦い、そして現在は、東シナ海南シナ海で軍拡著しい中国とそれぞれ対峙(たいじ)するなど、安全保障上の共通点に因るところも大きい。

 13世紀に遡れば、日本は2度の「元寇」を経験したが神風によって国難を切り抜けた。2度目の弘安の役(1281年)の後、元は1285年と1288年に大越(ベトナム)に来寇した。
 ところが英雄チャン・フン・ダオ陳興道)が元軍を見事に撃ち破ったのである。ダオはベトナムの危機を救ったが、同時に、日本に対して3度目が計画されていたとされる元寇を断念させたのだった。日本は、ベトナムに救われたともいえるのである。

 日本とベトナムの関係は冷戦期に一時、冷え込んだこともあったが、互いに共鳴し合う歴史を歩んできた。その両国が安全保障分野での緊密化を図ろうとしている。
 日越両国の防衛協力は、緊張高まる地域の平和と安定に大きく貢献することになろう。いまこそ、日越の連帯強化が急務である。(いのうえ かずひこ)