・「集団的自衛権」は国家(群)のいわば私的な武力行使、「集団安全保障」は国連の公的な武力行使にほかならない。

・スイス政府編の『民間防衛』の戦時国際法で「軍服を着用し、訓練され、かつ、上官の指揮下にある戦闘員のみに対して適用される」−、「民間人および民間防災組織に属するすべての者は、軍事作戦を行ってはならない。…それは無用の報復を招くだけである」とある。
・「すべてのスイス人は、…その身体、生命、名誉が危険にさらされるときは、正当防衛の権利を有する。何人もこの権利を侵すことはできない」とある。
・「集団的自衛権」と「集団安全保障」は言葉こそ似ていても、まるで異なる原理である。
・「集団的自衛権」は国家(群)のいわば私的な武力行使、「集団安全保障」は国連の公的な武力行使にほかならない。
・メディアの中には、誤解しているものがあるので、国民は気をつけましょう。





〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.12.31 05:01更新  【正論】
戦時国際法の国民啓発が必要だ 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛

 平成27年はわが国の安全保障政策にとり、第3の重要な節目だった、と後世から評価されることになるはずです。
第1回は吉田茂首相によるサンフランシスコ平和条約と(旧)日米安全保障条約(昭和26年)、
次が岸信介首相による現行の日米安保条約(昭和35年)の調印であることは、誰にも異論がないでしょう。では
第3回は?
 今年9月の平和安全保障法制の成立がそれだとする説に、誰もが賛同するかどうかは現時点ではまだ断言できません。私の言う「事実の規範性には時間がかかる」からなのです。
野坂昭如氏は何を誤ったか≫
 今年の暮れになって文士の野坂昭如氏が他界しました。同氏は「ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、みんな悩んで大きくなった」と、コマーシャル・ソングを歌うなど、極めて多彩な活動で知られた愛すべき人物です。
 が、野坂氏には『国家非武装 されど我、愛するもののために戦わん』という妙な著作もあります。なぜ私は「妙だ」と言うのでしょうか。
 その「まえがき」で同氏は「ほぼ自発的に、二百五十枚近くを文字にした」と書いています。
 最終ページには「ソ連だか、アメリカだか、韓国、北朝鮮ベトナム、台湾なんて国が、日本を力ずくで押しひしごうと、攻め渡って来るのなら、一人一人が抵抗すればいい、…市民が蜂起(ほうき)して、さまざまな次元による戦いを、しぶとく継続することだ」とあります。これが書名の意味するところに他ならないのでしょう。
 ところが同書は、初版しか発刊されていません。思うに著者自身が絶版を決意したもようです。誰かの指摘で自説の誤りに気づいたからだと思われます。であれば、それはそれで潔い態度でしょう。では野坂氏はどこで誤ったかです。問題はその独断性です。
 比較材料としてスイス政府編の『民間防衛』を読むべきです。原書房から出版された同書邦訳には「新装版第34刷」とあります。他国のことなのに日本での読者の多さには驚くほかないでしょう。
≪仰天した『朝日新聞』報道≫
 その218ページは戦時国際法を扱い、それが「軍服を着用し、訓練され、かつ、上官の指揮下にある戦闘員のみに対して適用される」−、「民間人および民間防災組織に属するすべての者は、軍事作戦を行ってはならない。…それは無用の報復を招くだけである」とあります。
 同時に、「すべてのスイス人は、…その身体、生命、名誉が危険にさらされるときは、正当防衛の権利を有する。何人もこの権利を侵すことはできない」とも書かれていて、「国家非武装」を説く野坂氏の考えの“真逆”が説かれています。つまり、戦時国際法の無視、重視の違いです。
 わが国では戦時国際法への関心が低すぎる、と私は考えます。だから時として驚くべき暴論がまかり通りかねません。
 国連憲章戦時国際法のイの一番というべきですが、マスメディアでも時折、ひどい無知が見受けられます。

 『朝日新聞』は2014年6月15日付の1面で「平和貢献のはずが戦場だった−後方支援 独軍55人死亡」なる見出しの大型記事、2面で「後方支援安全という幻想」と題されたもっと長文の記事を掲げました。「集団的自衛権 海外では」との副題が示すように、それらは集団的自衛権を論じた−はずの−記事です。
 アフガニスタン紛争でドイツ連邦軍集団的自衛権を行使し、その結果、55人もの犠牲者を出したとのこと。 一読して私は仰天し、その日のうちに同紙の「声」欄への投書でその誤りを指摘しました。予想通り、結果はボツです。
 どこが誤りなのでしょう。

≪初歩的な知識の乏しさ≫
 記事ではアフガニスタンへのドイツの派兵が「国際治安支援部隊(ISAF)」への参加である旨、明記されています。「2001・9・11」テロのあと、米国をはじめとする北大西洋条約機構NATO)諸国が集団的自衛権行使名目でアフガニスタン派兵に踏み切ったのは事実です。
 国連安保理決議1368号がその行使を容認したからでした。
 ところが同年12月20日の決議1386号では、憲章第7章第43条に基づき、NATO主導下のISAFが組織され、その行動原理は「国連の集団安全保障」に切り替えられたのです。因(ちな)みに国連加盟国の個別的・集団的自衛権を謳(うた)っているのは憲章第51条なのです。

 「集団的自衛権」と「集団安全保障」は言葉こそ似ていても、まるで異なる原理です。前者は国家(群)のいわば私的な武力行使、後者は国連の公的なそれにほかなりません。記者はこの初歩的な知識さえ持ち合わせなかったようです。問題は深刻です。なぜ『朝日新聞』はデスクを含め、その誤りに気づかなかったのでしょう。理解に苦しむしかありません。

 わが国にとっての最大の問題は、戦時国際法についての国民啓発が皆無の状態にあるということではないでしょうか。(させ まさもり)