・中韓の理不尽な主張には、過去の条約を誠実に守るべきこと、真実は事実の中にのみ宿るという精神に立ち、究明された事実を粛々と発信することに徹せよ!  

・日韓では1965年の基本条約や請求権協定が合意され、日中では72年の共同声明を経て78年に平和友好条約が締結された。
・前者では韓国の日本に対する請求権の一切が「完全かつ最終的な解決」をみたことが文書化され、
・後者では「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」が明記された。
・戦前戦中期の日韓間、日中間の懸案は、もちろん双方に少なくない不満を残しながらも、条約という形式に則(のっと)って決着したのである。
慰安婦問題、靖国問題、歴史教科書問題などの提起は条約からの完全なる逸脱である。
・そもそもなぜ一国の一首相、一内閣が自国の歴史解釈を表明してみせねばならないのか?、これが歴史に対する誠実な向かい方なのか?
という思いをなお消すことができない。
・戦後50年の村山談話があまりにも自虐的な史観に立って自国を貶(おとし)めた。  
・「21世紀構想懇談会」の報告書が8月6日に公表され、断定的な文言をもって記した。そして異論が注記で記された。
・注記で済ましていい話ではない。異論のほうがまっとうだ!
・「自存は単に国家の権利であるだけではなく、同時にその最高の義務であり、他のあらゆる義務はこの自存の権利および義務に隷属する」とパール判決書にある。
中韓の理不尽な主張には、過去の条約を誠実に守るべきこと、真実は事実の中にのみ宿るという精神に立ち、究明された事実を粛々と発信することに徹せよ!  









〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2016.1.5 05:02更新  【正論】
年頭にあたり 自縄自縛の歴史解釈から脱せよ
拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

 去年は戦後70年だった。9月には「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」なるものが北京で開催、大規模な軍事パレードが挙行された。天安門の楼上でパレードを見守る習近平国家主席プーチン露大統領、朴槿恵韓国大統領、潘基文国連事務総長らが取り巻く異様な光景であった。

中韓で再生産される過去の記憶≫
 個人の人生においても国家の歴史においても凄惨(せいさん)なできごとが時に起こりうる。戦争はその最たるものであろう。しかし、戦争の悲劇も時間の経過とともに人間の記憶からは次第に薄らぎ、やがて消滅していくというのが人生の真実であり歴史の経験則である。ところが、中国や韓国では時の流れとともに過去の痛ましい記憶がいよいよ鮮やかなものとして再生産されている。
 戦争がいかに悲惨であっても、当事国がいつまでも啀(いが)み合っているわけにはいかない。勝者と敗者の間で戦争処理のための条件交渉がなされ、国際条約を結んで新しい国家関係を出発させるというのも歴史の経験則である。
 事実、日韓では1965年の基本条約や請求権協定が合意され、日中では72年の共同声明を経て78年に平和友好条約が締結された。前者では韓国の日本に対する請求権の一切が「完全かつ最終的な解決」をみたことが文書化され、後者では「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉」が明記された。

≪わだかまり残った70年談話≫
 これで戦前戦中期の日韓間、日中間の懸案は、もちろん双方に少なくない不満を残しながらも、条約という形式に則(のっと)って決着したのである。慰安婦問題、靖国問題、歴史教科書問題などの提起は条約からの完全なる逸脱である。
 昨年8月14日には安倍晋三首相による戦後70年談話が発表された。評価はさまざまであったが、概(おおむ)ね国内では好意的に受け止められ、中韓からの反発も厳しくはなかった。私も談話が発表される以上はこれで致し方ないのかと考えもしたが、その一方で、そもそもなぜ一国の一首相、一内閣が自国の歴史解釈を表明してみせねばならないのか、これが歴史に対する誠実な向かい方なのかという思いをなお消すことができない。
 戦後50年の村山談話があまりにも自虐的な史観に立って自国を貶(おとし)めたことへの慚愧(ざんき)の思いを安倍首相は抱いてきたのだろう。安倍談話が村山談話というテキストの書き換え、つまりは「上書き」を意図したのであれば、それはそれで意味があったことかもしれない。しかし、上書きは成功したのか。

 安倍談話の文書作成に先だち、首相は16人の有識者から成る「21世紀構想懇談会」を組成し、その報告書が談話より前の8月6日に公表された。報告書は断定的な文言をもってこう記す。
 「日本は満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」。
 文中の「侵略」については複数の委員から次のような異議が唱えられたと注記されている。
「(1)国際法上『侵略』の定義が定まっていないこと(2)歴史的に考察しても、満州事変以後を『侵略』と断定する事に異論があること(3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを『侵略』と断定することに抵抗がある」
 まっとうな異論である。注記で済ましていい話ではない。
 事実認識歴史認識の根幹にかかわる異論である。ならば報告書があのように断定的な表現であっていいはずがない。談話作成に際して安倍首相は「自縄自縛」に陥ってしまったのではないか。

≪究明された事実を発信せよ≫
 談話では「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と述べた。自縄自縛から辛くも逃げたかの感があるが、よく読めば「もう二度と」とある。歴史をこんな言い逃れで弄ぶようなことはもうよしにしようではないか。
 戦争とは参戦国の錯綜(さくそう)する利害から成る多元連立方程式である。一国の行為のみを取り上げて糾弾できるほど単純な構図では描けない。万が一、往時の日本の戦争が侵略であったとしても「自存は単に国家の権利であるだけではなく、同時にその最高の義務であり、他のあらゆる義務はこの自存の権利および義務に隷属する」とパール判決書にはある。

 戦後70年が終わり、年も改まった。中国や韓国の理不尽な主張には、過去の条約を誠実に守るべきこと、真実は事実の中にのみ宿るという精神に立ち、究明された事実を粛々と発信することに徹しようではないか。
 南京虐殺の一大プロパガンダが始まっている。これに抗するには検証された事実をもってする以外にはないのだから。(わたなべ としお)