不法占拠されたままの「樺太領土と北方領土の返還」を声を大に要求せよ!

・三条 健です。
・日ソ中立条約を一方的に破り、8月9日未明、ソ満国境を侵入してきたソ連兵は 軍人のみならず民間人をも加えて60万人を超える日本人をシベリア収容所へ抑留し、食料をろくに与えず強制労働させ約6万人を超えるソ連に対しては何等罪の無い人たちを死に追いやった。
帰国したのは46万人
・これはポッダム宣言の第9条「帰還規定」にも違反している。ソ連のこの犯罪は極めて悪質で大きい。 しかるに、北方領土を不法占拠されたまま、昭和31年の日ソ共同宣言で罪深いソ連への賠償請求権を放棄してしまった。 不法に不法を重ねているソ連に対して、何故、北方領土も取り返せず、また賠償請求権をあっさりと放棄して共同宣言にサインをしてしまったのか?
日本が不可侵条約を取り交わしていたソ連に日本領土を不法占拠される理由は何も無い。 樺太領土と北方領土ソ連に不法占拠されたままだ!



〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【主張】シベリア特措法 忘れまいソ連不法行為
2010.6.21 02:47
 第二次大戦後に旧ソ連のシベリアなどに抑留された日本人に1人当たり25万〜150万円の特別給付金を支給する特別措置法が成立した。

 シベリア抑留は、昭和20(1945)年8月に日ソ中立条約を破って旧満州などに侵入した旧ソ連軍によって引き起こされた歴史的な犯罪行為である。関東軍将兵ら約60万人がシベリアなどの収容所に連行され、最高11年半に及ぶ強制労働をさせられた結果、約6万人が死亡したといわれる。

 これは、ソ連も加わったポツダム宣言の日本軍人らの本国帰還を求めた規定(第9条)にも違反している。本来、ソ連(現ロシア)の責めに帰すべき問題である。

 しかし、昭和31年の日ソ共同宣言で、日本はソ連への賠償請求権を放棄した。その後、抑留体験者の一部が国に強制労働の未払い賃金などの補償を求める訴訟を起こしたが、最高裁は平成9年、「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない」として、原告側の要求を退け、補償の要否を立法府に委ねた。

 その結論が戦後65年たって、ようやく出されたといえる。ただ、給付金の支給対象は生存している元抑留者に限られる。帰国した46万人を超える元抑留者のうち、生存者は7万〜8万人で、平均年齢は87歳前後と推定される。

 特措法は、抑留の実態調査や遺骨収集、追悼などを行うための基本方針策定も政府に義務づけた。異国の地で亡くなった人や、帰国後、特措法を待てずに死亡した元抑留者のためにも、国はこれらの義務をきちんと果たすべきだ。

 ソ連崩壊後、明るみに出た機密文書などによれば、シベリア抑留はソ連の独裁者、スターリン首相の指令によって行われたものだ。北海道の北半分の占領を狙ったスターリンの要求を米国のトルーマン大統領が拒否し、その代償として抑留を強行したのである。

 今回の特措法をめぐり、シベリア抑留は「日本の侵略戦争」などが引き起こしたとする論調が一部マスコミにあるが、歴史を直視しない一方的な見方である。

 ソ連の不法な対日参戦で、多くの日本の民間人も犠牲になった。しかも、ソ連は日本固有の領土である北方四島を占領し、ソ連を引き継いだロシアは今も不法占拠を続けている。日本国民はこうしたソ連の不法な行為を子や孫たちに語り継いでいかねばならない。