喪失を取り戻すには、時間をかけて努力していく以外に王道は無いのではないか?

・三条 健です。
・トインビーの言の引用では、『いかなる巨大国家もいつかは衰弱し滅亡もするが、その最大の原因は国家自らのことを国家自身が決められなくなることだ』とし、日本がその中に居ると石原氏は主張している。
星条旗の最後の星が小さな日の丸」はその例えだ。
・どんなことがあっても、中国国旗「五星紅旗の六番目の星に小さな日の丸」は 避けねばならないが、今の民主党の動きを見ていると、非常に危うい。  日米中を正三角形関係外交などと腑抜けたことを言っている政党は危うさを通り越しているとも言えよう。
・「日本は極めて大切なものを失ってきた」とし、大方の国民が共有する価値観、価値の基軸の問題は ありえない高福祉低負担に繋がる「物欲アニマル」にあるとする。 「この喪失を一体どうやったら取り戻すことが可能なのか?」の問いが 極めて重要視される。
・日本が恐ろしい状況にあるということを認識できる人間の人数割合が問題だ。
・この喪失の原因は本をただせば、日本から牙(=戦う武器)を捥いだからだ。 戦後、牙(=戦う武器)を捥れた国民は、物欲に依存したからに他ならない。
我々は、過渡的には、今の条件の中で、長くかかるかも知れないが時間をかけても修復に向けて努力することが肝要だ。 このことは政治、経済、教育との関連が強いため、厖大な努力が要ることになる。
これまで65年間、星条旗のなかの日の丸で過ごしてきたが、今後は国家予算の問題も絡むので、一気には変えられないだろうから、星条旗のなかの日の丸を徐々に小さくしていき、やがては、独立した日の丸に脱皮する方針で、時間をかけて努力していく以外に王道は無いのではないか。


〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【日本よ】石原慎太郎 平和の代償
2010.7.5 03:19
 今の日本を思う時、私は過去のある出来事を連想してしまう。あのタイタニック号沈没の悲劇だ。当時、先端技術を駆使して造られた世界最大の客船はその処女航海で氷山に衝突し敢え無く沈没してしまった。衝突で出来た穴から水が漏れ出し、まだまだ大丈夫といいあっている内に、水は機関室にまで浸透し、最後はあっけなく逆立ちし海底の藻屑と消えた。このままで行くとこの日本の未来も同じことになりかねまい。

 振り返り考えてみると、この六十年余日本が享受してきた平和なるものは世界の中で未曾有のものだ。国家自体を緊張に晒(さら)す事態に遭遇することなく半世紀余を過ごすということは、人間の歴史の中でも希有なることだった。

 現代史に限ってみても、第二次世界大戦の後の冷戦構造下での緊張はヨーロッパの先進国と日本とではことの深刻さがかけ違っていた。平坦な地続きのヨーロッパと島国の日本では、冷戦時代の軍事的緊張はその実感はかけ離れていたと思われる。世界で唯一の原爆被爆国である日本にしてなお、我々に原爆を投じて瞬時にして戦に打ち勝った当のアメリカ様が戦後から今日までこの国を実質統治してきたお陰(?)で、冷戦下での国民の意識はアメリカへの盲信のせいでヨーロッパの人々のそれとは著しく違っていた。

 ヨーロッパ人にとって戦後のソヴィエトロシアは、苦汁を嘗(な)めさせられたナチス・ドイツと同じ独裁国家であって、第一次大戦の苦い経験が逆にヒットラーの台頭を許してしまった至近の思い出に繋(つな)がり、NATOの誕生が表象する極度の緊張を強いる状況を存続させていた。

 それに比べこの日本は庇護(ひご)を仰いでいるアメリカの言い分を丸呑(の)みにして『作らず、持たず、持ち込ませず』などという阿呆駄羅経地味(あほだらきょうじみ)た非核三原則まで唱えてこれを『国是』とし、生殺与奪の権アメリカに与えその囲われ者として甘んじてきた。そしてアメリカも今日まではその権利を施行し結果としては囲い者への一応の義務も果たしてはきた。

 トインビーは『いかなる巨大国家もいつかは衰弱し滅亡もするが、その最大の原因は国家自らのことを国家自身が決められなくなることだ』といっているが、それは歴史の、というより人間社会の原理に他(ほか)ならない。

 数年前の日本版のニューズウィーク誌の表紙にことさらに星条旗が描かれてい、何を今さらと思ったら最後の星が小さな日の丸だった。しかしその後世界の情勢は著しく変化し、中国の台頭とアメリカの衰退が進み、下手するといつかどこかの雑誌の表紙に中国の国旗五星紅旗が描かれ、六番目の星に小さな日の丸が描かれかねない。

 しかしなお日本人の意識の構造は依然として本質的に変わりない。我々はこの国の近代史におけるいわば処女体験として太平洋戦争における敗戦を味わったが、決定的な『敗北』を『終戦』とレトリックすることでいかなる矜持(きょうじ)を保ったのかは知らぬが、勝者、統治者ならぬ友人としてアメリカを迎え従うという虚構の中で極めて大切なものを失ってきたことは間違いない。その喪失は国家として本質的な破綻に繋がりかねない。

                   ◇

 『平和の毒』という言葉がある。最近のこの国の様相を眺めると私はその言葉を是とせざるをえない。歴史の中でも希有なる安定と平和が続いたこの国は、国家として、それに属する民族として確かな意思を持ち自立していくために絶対に必要な要件をすっかり欠いてしまったような気がしてならない。

 それは国民の連帯の上に構えられる国家の意思、というよりもその前提としてその意思を構築していく大方の国民が共有する価値観、価値の基軸の問題だ。その如何によって政治は、国際関係においても、経済、教育においてもそれを斟酌(しんしゃく)しことを具体化し遂行していかざるを得ない。要するに政治が何を行うかは、国民が何を望み欲しているかによって決まってくるのだ。

 ならば今大方の日本人が実は何を一番求めているか欲しているかが問題なのだが、それは端的にいって物欲を満たすこと、煎(せん)じつめれば、『金』でしかない。それも当面生活を満たすための小金。そして政治もそれに迎合する低俗な資質にしかなり得ない。

 逆立ちしても有り得ない高福祉低負担の虚構の存続。それを補填(ほてん)するためのいかなる増税にも反対。そしていかなる政党も選挙の度にそれに媚(こ)びへつらって従うしかない。

 こうした金拝主義は昔の中国人に酷似している。かつての中国大陸では政治的な動乱が続きその度異なる民族による政変統治で、そこに住む人間たちにとっての生活の基軸は所詮(しょせん)金にしかなりえなかった。金が何にも勝る唯一信頼できる価値の基軸だった。
共産党による統治が進み近代の国家としての体裁が整い、国家を背景にした人間たちの連帯感が生まれ出した現在、彼等の意識は価値に関してかなりの変化を生みつつある。それは政府が掲げるイデオロギーをも超えた異なる位相の価値観で、その背景にはようやく兆してきた消費文明のもたらす新しい世代の情操がある。先日、中国の大都市に派生してきている新しい若者たちの心情に関するテレビの特集を見て、日本における消費文明の台頭期に私自身が体現した言動や風俗との本質的な酷似を感じて興味深かったが、これはあくまで隣の国のことで、この日本におけるいわば金銭的なフェティシズムの歴史的意味合いは全く違ってはるかに退嬰(たいえい)的で何の生産性もありはしない。
今の日本における金銭フェティシズムには出口がない。これだけ高度化した社会における物欲への執着はギリシャ神話におけるタンタロスの悲劇のように、結果は自分自身を喰い殺して止まないことになる。それはいかなる矜持(きょうじ)をも否み、いかなる従属、卑屈、屈辱をも厭(いと)わず、本質的な自我の喪失をも顧みない。

 私たちはこの喪失を一体どうやったら取り戻すことが出来るのだろうか。