ロシアの経済近代化に必要な資金、科学技術、経営ノウハウ、その他の協力は、遠慮なく日本から獲得し、その一方で、政治(領土)面では決して譲歩しないという「メドベージェフ戦略は、一貫している」

・三条 健です。
・以下の記述を熟読して戴きたい。
・ロシアの経済近代化に必要な資金、科学技術、経営ノウハウ、その他の協力は、遠慮なく日本から獲得し、その一方で、政治(領土)面では決して譲歩しないという「メドベージェフ戦略は、一貫している」

・「サハリン2」関連の資源開発事業が一段落した今日、サハリン州からは日本人の技師などが続々と引き揚げ、同州経済に深刻な影響を与えている。したがって常識的に考えれば、同州は日本に最も友好的な態度で接し、日本の北方領土要求に対してももっと理解ある姿勢を示してよいはずである。事態は真逆である。サハリンは、北方四島はいわずもがな、「日ソ共同宣言」で確定済みの2島の対日引き渡しにすら反対しようとする。長年にわたりモスクワ中央にたいし、「対日戦勝記念日」を制定するよう執拗(しつよう)に要求し続けてきたのも、サハリン州議会に巣くう一部の反日議員たちにほかならなかった。
モスクワ政府の意向に反発する傾向が根強い。北方四島を事実上の行政管轄下に置いているのは、サハリン州にほかならない。それにもかかわらず、モスクワと東京はサハリン州の頭越しに、四島の主権帰属問題を直接交渉している。このことに対するサハリン州の不快感である。


〜〜〜メディア報道の一部<参考>〜〜〜

【正論】北大名誉教授・木村汎  打ち出の小槌にされた北方四島
2010.9.7 02:41

 9月2日−。日露関係にわずかでも関心を持つ者にとっては、刮目(かつもく)して眺めるべき日となった。ロシアのメドベージェフ大統領が、今年7月、この日を「第二次世界大戦終結の日」に制定したからである。

 果たして当日、ロシア各地で反日的行事が催され、その規模はどの程度のものになるのか。そのことによって、この記念日が事実上の「対日戦勝記念日」となるのかどうかが決まってくる。その意味で、制定後初めてとなる今年の記念日はとりわけ要注意となった。つぶさに観察してみて、分かったことが3つある。

≪対独戦勝記念日とは違う≫

 第一は、ロシア各地での同記念日関連の諸行事が概して低調に終わったことだ。モスクワ、サンクトペテルブルクなど欧露地域はいうまでもなく、ロシア極東のハバロフスクウラジオストクでも、形だけの式典が催されたに過ぎなかった。5月9日の対独戦勝記念日が休日扱いとされるばかりでなく、毎年、国を挙げて盛大に祝われる状況とは大きく異なった。当然だろう。

 対独戦と対日戦との差異は、誰の目にも明らかな根本的な類(たぐい)のものだからである。前者は、ヒトラー・ドイツがソ連に対し先制攻撃を加え、ロシア国土奥深くに侵攻し、ロシア全国民を4年間の長きにわたって巻き込んだ「祖国防衛戦」であった。後者は、ロシア側が中立条約を一方的に破棄して日本を攻撃し、南樺太、千島列島、そして日本軍がポツダム宣言をすでに受諾し無抵抗となった北方四島を武力占拠した。

≪サハリンは返還反対の急先鋒≫

 今回、先に述べたことの例外となったのが、サハリンである。これが、第二点だ。前もって予想されたとおり、サハリン州都のユジノサハリンスク(豊原)では極めて反日色の強い諸行事が催されたからである。

 このことを知って多くの読者は奇異の感を抱くかもしれない。というのも、サハリンは、ロシア全土の中で、日本との経済協力、したがって友好関係を最も必要とする地域だからである。実際、「サハリン2」関連の資源開発事業が一段落した今日、サハリン州からは日本人の技師などが続々と引き揚げ、同州経済に深刻な影響を与えている。したがって常識的に考えれば、同州は日本に最も友好的な態度で接し、日本の北方領土要求に対してももっと理解ある姿勢を示してよいはずである。

 ところが、事態は真逆である。サハリンは、北方四島はいわずもがな、「日ソ共同宣言」で確定済みの2島の対日引き渡しにすら反対しようとする。長年にわたりモスクワ中央にたいし、「対日戦勝記念日」を制定するよう執拗(しつよう)に要求し続けてきたのも、サハリン州議会に巣くう一部の反日議員たちにほかならなかった。

 サハリン州議会は、なぜ対日領土返還に頑(かたく)なに反対するのか? 次のような理由が推測される。

 まず、地政学的要因である。サハリン州は、ロシア本土や中国から海によって隔てられているために、ウラジオストクなど、ロシア極東の他の地域と異なり、外国勢力、特に中国の進出にたいする警戒心がやや希薄である。ほぼ同じ理由で、未(いま)だに旧ソ連時代の思考からふっ切れていない。

 次に、モスクワ政府の意向に反発する傾向が根強い。北方四島を事実上の行政管轄下に置いているのは、サハリン州にほかならない。それにもかかわらず、モスクワと東京はサハリン州の頭越しに、四島の主権帰属問題を直接交渉している。このことに対する不快感である。

≪背後にロシアの一貫戦略≫

 さらにいうと、サハリン州住民たちは次のような算盤(そろばん)をはじいているかもしれない。北方四島を自らの手中に握っているかぎり、彼らは日本の経済的協力・支援を半永久的に確保できる。そのように貴重な価値を持つ「打ち出の小槌(こづち)」を、ゆめゆめ自ら手放す愚を犯してはならない、と。

 そして最後に、記念日制定で分かったこと。それは、メドベージェフ大統領が一見、優柔不断のようにみえるものの、実は確固たる戦略を持って日本に立ち向かっている、ということだ。

 確かに同大統領は、弁明を試みる。「第二次大戦終結の日」制定は、9月2日を戦争終了日と見なす世界標準に合わせたものである。「対日戦勝日」の名称も回避した。記念日制定はもっぱらロシア諸勢力間のバランスをとる、国内向けの行為にすぎない…云々(うんぬん)。

 だが、何と言い訳しようとも、次の冷厳な事実は変わらない。かつてエリツィン大統領が拒否し続けていた、このような記念日制定の法改正を、メドベージェフ大統領が今回、承認した、ということである。

 ロシアの経済近代化に必要な資金、科学技術、経営ノウハウ、その他の協力は、遠慮なく日本から獲得する。その一方で、政治(領土)面では決して譲歩しない−。このメドベージェフ戦略は、一貫しているのである。(きむら ひろし)