・ロシアの「東方を征服せよ」の国家行動の習性は微動だにしていない! 油断してかかってはならない!

・三条 健です。  櫻田淳氏の下記の記述は然りだ! 肝に銘じて、今後の外交にあたることが肝要であろう。

・ロシアもまた、極東最大の都市としてのウラジオストクが、帝政以来、ソビエト共産主義体制を経て現在に至るまで、「東方を征服せよ」という意味の名称を持ち続けたことに示唆されるように、その国家行動の習性は、然程(さほど)、変わっていない。
・ 冷戦期、日本の半ば仮想敵国であったロシア、中国、北朝鮮は、「冷戦の終結」以後には、「脱共産主義化」された状態で依然、日本の前に立ちはだかっている。むしろ、これらの国々でイデオロギーの色彩が薄まった分、その赤裸々な「国益」追求の姿勢は、従来より遥(はる)かに露骨に印象付けられるようになっているといえよう。昨今の対中関係や対露関係の風景は、国際政治が「権力闘争」の舞台であるという至極、当然の事実を再確認させたに過ぎない。
・「対米関係の安定なくして中国との良好な関係など築けない」「日米関係が悪くなったときに、ほかで補おうとしてはいけない」といった小泉純一郎元首相の言葉は、その意味でも正鵠(せいこく)を射ている。
・ロシアの「東方を征服せよ」の国家行動の習性は微動だにしていない! 油断してかかってはならない!


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
【正論】年頭にあたり 
東洋学園大学准教授・櫻田淳
2011.1.14 03:04

■政治指導層の予断、錯誤、不見識
≪「季孫の憂い」、再び≫

 『論語』(季子第十六)には、「吾れ恐る、季孫(きそん)の憂いは●臾(せんゆ)に在らずして蕭牆(しょうしょう)の内に在らんことを」という記述がある。魯(ろ)の季氏が隣国である●臾に攻め入ろうとした折、孔子は、季氏に宰相として仕えていた冉有(ぜんゆう)と季路(きろ)を前にして、大義なき外征を止めようとしない2人の弟子を叱責(しっせき)した。孔子は、季氏にとっての後々までの憂慮は、外敵の脅威ではなく、自国の「政治指導」の中にこそあるのではないかと説いたのである。

 一昨年夏の「政権交代」以来、日本の対外政策は、「迷走」を極めた。鳩山由紀夫前政権の在沖米軍普天間飛行場移設案件への対応は、日米同盟の「深化」ではなく「空洞化」を劇的に促した。

 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件以後の中国政府の姿勢は、レアアース(希土類)の輸出規制にせよ、劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏(作家)のノーベル平和賞受賞決定への反応にせよ、「極西の国」たる日本との異質性を際立たせることになった。

 ロシア政府は、メドベージェフ同国大統領の北方領土強行訪問以降、この案件では相当に強硬な姿勢に転じている。それは、「北方四島のロシア帰属」を明言する大統領の言葉に併せ、歯舞・色丹二島返還を趣旨とする日ソ共同宣言を骨抜きにするような勢いである。結果として、日本を取り巻く国際環境は、「政権交代」以前よりも険悪なものになっている。

 しかし、筆者は、日本の「迷走」に乗じて、一層の国益の拡大を図ろうとした中国やロシアの論理には、何ら違和感を覚えない。特に、1980年代の「改革開放」政策以降の経済発展に裏付けられ、北京五輪や上海万博の開催という果実を手にした近年の中国の対外姿勢には、19世紀半ばの「西洋の衝撃」以降に受けた屈辱を晴らそうという衝動が反映されているかもしれない。

国益追求むき出しの中露≫

 ロシアもまた、極東最大の都市としてのウラジオストクが、帝政以来、ソビエト共産主義体制を経て現在に至るまで、「東方を征服せよ」という意味の名称を持ち続けたことに示唆されるように、その国家行動の習性は、然程(さほど)、変わっていないといえるであろう。

 冷戦期、日本の半ば仮想敵国であったロシア、中国、北朝鮮は、「冷戦の終結」以後には、「脱共産主義化」された状態で依然、日本の前に立ちはだかっている。むしろ、これらの国々でイデオロギーの色彩が薄まった分、その赤裸々な「国益」追求の姿勢は、従来より遥(はる)かに露骨に印象付けられるようになっているといえよう。昨今の対中関係や対露関係の風景は、国際政治が「権力闘争」の舞台であるという至極、当然の事実を再確認させたに過ぎない。

 このように考えれば、「吾れ恐る、季孫の憂いは●臾に在らずして蕭牆の内に在らんことを」という『論語』の記述の普遍的な意義が、浮かび上がってこよう。対外関係に軋(きし)みが生じれば、「●臾」に類する他国を批判して納得したような空気が流れることがあるけれども、そうした対外関係上の軋みは、結局のところは、「蕭牆の内」、すなわち、自国の政治指導層の政策判断における予断、錯誤、不見識によって招かれたものであることがある。

≪根拠なき理想が招いた危機≫

 昨年の対中関係や対露関係の風景に浮かび上がったような中露両国政府の対日姿勢は、「東アジアにおける安定の礎石」と位置付けられた日米同盟の枠組みを実質、侵食させた鳩山由紀夫菅直人の両民主党政権の対応によって誘い込まれたものである。「対米関係の安定なくして中国との良好な関係など築けない」「日米関係が悪くなったときに、ほかで補おうとしてはいけない」といった小泉純一郎元首相の言葉は、その意味でも正鵠(せいこく)を射ているのである。

 さらに。対露関係の文脈でいえば、河野雅治駐露日本大使更迭の検討は、菅政権が、自らの不見識の責任を「前線の官僚」層に負わせた事例であり、そうした対応は、日本の「政官関係」の機能不全と「政治指導」の劣化を内外に知らしめる結果になろう。

 「政権交代」以降の民主党政権2代で標榜(ひょうぼう)されたのは、「政治主導」であった。しかし、民主党政権における「政治主導」の内実は、明治以来、日本の「統治」の文脈で築かれた「知恵の蓄積」を尊重せず、自らの「根拠なき理想」を現実に投射しようとしたものではなかったか。民主党の中には、「日米中正三角形論」にくみする人々は多いかもしれないけれども、彼らは、たとえば、吉田茂が対米同盟の意義について「有無相通じ長短相補う」と語った意味を理解しているであろうか。

 日本の人々にとっては、新年とは、過去からの「知恵の蓄積」に思いを馳(は)せる時節である。当世日本の「蕭牆の内」における憂慮の最たるものは、そうした「知恵の蓄積」への感覚が乏しいということにあるのであろう。(さくらだ じゅん)

●=順の川が瑞のつくり