・すくなくとも3000年単位で天災の大きさを考慮する精神をもて!

・日本には今、過酷な挑戦を受け、応戦する「強情」な「決意」がある。
・「戦後レジームからの脱却」は何もできていない。
民主党政権は短命で終焉するであろう。
・「戦後民主主義」を嫌っているようだが、すべてを否定せず、改善すべき点を修正すれば良い。
・すくなくとも3000年単位で天災の大きさを考慮する精神をもて!


〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜 
過酷な挑戦に応戦の決意あるか
文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
2011.7.5 03:09

■過酷な挑戦に応戦の決意あるか
 今日の日本、あるいは現在日本人が生きている歴史的状況は、果たしていかなるものであろうか。  それは、根源的な危機であり、これまでの日本の在り方、あるいは日本人の生き方の根本からの問い直しが必要とされているのではあるまいか。  戦後的な国家観や人間観は、破綻したからである。
 この事態を「節電」に象徴されているような、今までのやり方をやや縮小する、あるいは微調整するといった本質的な解決に届かない対応で何とかやりすごそうと考えて、ずるずると時間だけが過ぎていくと、日本の文明の命運に重大な結果をもたらすであろう。   日本の将来は、この危機をどこまで深く精神の危機としてとらえることができるかにかかっている。

≪震災で「戦後民主主義」終焉≫:
 東日本大震災は、まさに時代を画するものであり、「戦後民主主義」の息の根を止める威力を持つものであった。
 「戦後民主主義」は言論人からさまざまな批判を受けてきたし、安倍晋三政権による「戦後レジームからの脱却」を唱えた政治的運動もあったが、その方向が挫折して、民主党政権という「戦後民主主義」の申し子たちの政府が誕生した。  「戦後民主主義」というものはなかなかしぶとく、結局、今日まで慣性の法則で惰性的に続いている。   その中で日本人は惰眠を貪(むさぼ)ってきて、自らの思想や運動で「戦後民主主義」を打破することはできなかった。    このことは日本人の思想力に対する絶望感をもたらし、「言論は空(むな)しい」という福田恆存の嘆息を思い出させる。

 しかし、現実を直視しなければならない。その上で、今後の日本人の精神を変えていくにはどうすべきかを考える必要があろう。
 いずれにせよ、大震災という物理的力が天災と人災(福島原発事故)をもたらし、結果として「戦後民主主義」を終わらせることになるのは間違いない。 この非常時には、それを支えてきた現行憲法や戦後的な諸制度が虚妄であることが暴露されたからである。  だから、「戦後民主主義」はできる限り早急に退場すべきである。   しかし現実にはしぶとく居座ろうとしている。 この醜悪な事態は、上辺だけがきれいごとである戦後的なるものの実相そのものである。

≪トインビーの『歴史の研究』≫:
 日本の根源的な危機を鑑(かんが)みるとき、私は、旧約聖書のエレミヤ記第6章14節「かれら浅く我民の女(むすめ)の傷を医(いや)し平康(やす)からざる時に平康(やすし)平康といへり」を思い出す。  今日の日本は本当に「平康からざる時」にある。それを「浅く」とらえ、「平康平康」といっている言説が多いように思われる。
 本来は、大震災を機に「戦後民主主義」は終わり、長らく我々(われわれ)がしてきた今年は戦後何年という呼び方での時代の区切り方を廃止して、今後は大震災後何年という風にいうべきである。  そういう意味でも、実質的に戦後はやっと終わったのである。来年は大震災後1年と表記されるべきであろう。

 こういう本質的な問いを考えざるをえないときには、古典に立ち返るべきである。例えば、トインビーの『歴史の研究』は、今後の日本の文明の命運を考察する上に有用である。  この大著は、文明の発生、成長、衰退、解体というように諸文明の歴史的過程を研究したものだが、その核心的な概念に「挑戦と応戦」がある。   文明は、環境の挑戦に対する人間の応戦によって発生し、展開するということである。    厳しい自然の挑戦に応戦する意志を持たない人間たちの所では文明は生まれなかった。

 「必要が発明の母であるならば、父は強情さ、すなわち、いいかげんで見切りをつけ、生活の楽な所に移ってゆくかわりに、あくまでも不利な条件のもとでいきてゆこうとする決意であるというのが、進歩の逆説的真理である」

明治維新150年どう迎えるか≫:
 日本は今、過酷な挑戦を受け、応戦する「強情」な「決意」があるかどうかが問われている。 所用で長期滞在しているイタリアから日本を遠望すると、悲劇の陰影は却(かえ)ってよく見えるように思う。

 イタリアは今年、統一150年である。過日、散歩していたら、150年を記念するポスターを見掛けた。  そのポスターを見ていて明治維新が1868年、イタリア統一が1861年で、それほど違わないことに改めて気がついた。  たしか、岩倉遣外使節団の『米欧回覧実記』の中でも、その点が触れられていたように記憶する。

 7年後、日本は明治維新という近代の開始から150年の節目の年を迎えるわけである。大震災の深刻な影響はまだまだ、残っているに違いない。このような悲痛な状況が、日本の近代150年の結末であったのか。「あゝ哀しいかな」というエレミヤの「哀歌」が歌われる時代なのであろうか。

 大震災を機に、日本の近代化の問題が根本的に問い直されなければならない。それが、応戦の中心的課題である。そして、新生日本の母胎が形成され、その上に将来の日本の文明の在り方が組み立てられて、明治維新150年の年を迎えなければならない。(しんぽ ゆうじ)