和の精神は、日本に固有なものだ!

・至上神が女性であるのは、日本以外の他の主要な文明にみられない。
ギリシアメソポタミアインド神話をはじめとする他の神話は、残虐なものだ。
・神話は古代人が、世界観を述べた物話だ。それぞれの民族の性格が、あらわれている。
・推古12(604)年に、聖徳太子が『十七条憲法』を制定して、第17条で、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。大切なことは、全員でよく相談せよ」と、定めている。世界最古の民主憲法だ。神代からこのような和の精神が、あったのだ。
・日本は、世界に珍しい和の文化である。そのために、自己主張や、利己心をできるだけ慎んで、譲り合い、自制する。
・中国や、西洋では、善と悪を峻別する。そうするから、フランス革命は五万人以上の同じフランス国民を、断頭台(ギロチン)にかけて虐殺した。毛沢東の人民文化大革命は、主観的な善悪を尺度として、1000万人以上の人命を奪った。
・私たちは、善と悪によって仕分けしない。 清いか、清々しいのが美しいのであって、美的な感性を用いて、好ましいか、望ましくないか、分ける。
和の精神は、日本に固有なものだ!





〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
日本人の心に内存するもの
加瀬英明
2011.07.06 Wednesday

 東日本大震災は、日本国民の精神性がきわめて高いことを、世界へ向って示した。
 日本が世界の手本になったと、いってよかった。私はこのような精神をつくってくれた先祖に、あらためて感謝した。
 日本は世界のなかで、もっともやさしい文化を持っている。 世界のどこへ行っても、人がこの世界とどのようにしてかかわっているか、説明する神話がある。
 日本神話の大きな特徴は、やさしいことだ。  神話が編まれた時代から、日本人のやさしさが表われている。 日本では、なぜか、女神の天照大御神最高神である。 至上神が女性であるのは、他の主要な文明にみられない。
 中国の最高神の天帝は、男だ。朝鮮の檀君神話の至上神も、男性神だ。ギリシアローマ神話では、男性神のゼウス、ユピテル最高神だ。雷を武器として、世界を支配する。

日本の神話の示すもの:
 天照大御神の弟神の素戔鳴(スサノオ)命が酔って、大御神が高天原(たかまがはら)で丹精(たんせい)してつくった稲田を壊し、大便と尿をして汚してしまう。  大御神は、「屎(くそ)なすは、酔ひて吐き散らした」といって、許してしまう。
 それでも、弟神は大御神が祭のために衣を織らせていた、服(はた)屋(や)の屋根に穴をあけて、野馬の死体を投げ込んだ。  大御神は弟神を罰せずに、天(あめ)の岩(いわ)屋(や)戸(と)のなかに閉じこもった。

 ギリシアメソポタミアインド神話をはじめとする他の神話は、残虐なものだ。

 ゼウスは神の1人であるプロメテウスが、天上から火を盗んで人間に与えたために、罰として、コーカサスの岩山の頂(いただき)にはりつける。 毎日、大きな翼をもつ鷲(わし)を送って、腹を割かせて、内臓を食い散らかせた。
 プロメテウスは不死だから、鷲がねぐらへ帰ると、体が回復してしまうために、耐えられない苦痛を味わった。
 北欧神話の主神オーディンも、男性神だ。  風が強い地域だから、風の神である。  オーディンは、「吹く」という意味だ。北欧のオーディン神話も、血(ち)腥(なまぐさ)い話によって彩られている。

神話とはその民族の精神性:
 ユダヤ教にとっての聖書が、キリスト教にとっての『旧約聖書』となる。神話の範疇に加えたいが、敵の部族をみな殺したり、これでもか、これでもかというほど、残虐な話ばかりである。  青銅期の記録としては優れているが、とうてい宗教書と思えない。
 神話は古代人が、世界観を述べた物話だ。それぞれの民族の性格が、あらわれている。
 日本神話は日本民族が文字を持っていなかったころから、語り継がれてきた。今日でも、日本人はあの時代から、変わっていない。

高天原が漆黒の暗闇:
 太陽神である大御神が天の岩屋戸のなかに籠(こも)ると、高天原が漆黒(しっこく)の暗闇に閉ざされた。 すると、八百万(やおよろず)の神々が天(あめ)の安(やす)の河原に集まって、慌てて相談する。神(かむ)謀(ばか)る、という。
 大御神をどうして外へおびき出せばよいのか、さまざまな知恵が講じられる。
 その1つに、雄鳥の長(なが)鳴(なき)鳥(どり)を鳴かせることがあった。だが、功(こう)を奏しない。
 万策きわまったところで、女神の天鈿女(アメノウズメ)命が裸踊りを演じた。  八百万の神高天原に鳴りひびくほど、笑いどよめいた。
 大御神が好奇心をつのらせて、重い岩戸を少し押し開いて、半身をせりだして、覗いた。天(アメノ)手(タ)力(ジカラ)男(オノメ)命が大御神の手をとって、引きだした。 高天原に再び光が甦った。
 この物語は、何とも日本らしい。他国の神話にみられないことだ。

神謀るとは衆知をよせること:
 神々が天の安の河原に神(かむ)謀(ばか)るが、なかに指導者がまったくいない。  他の民族であれば、かならず全員をまとめて、決定する力をもった者がいる。
 そのはるか後の推古12(604)年に、聖徳太子が『十七条憲法』を制定して、第17条で、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。大切なことは、全員でよく相談せよ」と、定めている。世界最古の民主憲法だ。神代からこのような和の精神が、あったのだ。

和の心と総意をつくす:
 その41年後に、女帝の皇極天皇大化改新を断行した。勅を発して「万民治むるは、独り治むるべからず。かならず民のたすけを待つ」と、述べている。
 このようなことは、中国や、朝鮮、中東、インド、西洋をはじめとする皇帝や、国王であったら、考えられないことだ。
 日本は、世界に珍しい和の文化である。そのために、自己主張や、利己心をできるだけ慎んで、譲り合い、自制する。
 「指導者」「独裁者」という言葉は、明治に入るまで、日本語のなかに存在しなかった。  指導者も、独裁者もいない文化だった。リーダー、ディクテイターを翻訳するために造った、明治訳語である。
 「宗教」という言葉も、やはり明治訳語である。それまで日本には、宗門、宗派、宗旨という言葉しかなかった。ところが、religionという西洋語が入ってくると、レリジョンは他の宗派を認めず、自分だけが正しいものとして、排斥するから、日本にそのような概念がなかったために、新しい翻訳語を必要とした。

神話とは「ふること」の意:
 日本は天つ神と、国つ神の天神地祇が融和した神話時代から、和の社会だった。 仏教が伝来すると、神仏も習合した。
 「神話」という言葉も、明治に入るまでは、日本語に存在しなかった。「神話」も、英語のミソロジーmythologyをはじめとする西洋諸語を訳するために、造った翻訳語である。
 徳川時代が終わるまでは、神話を「ふること」といった。「古言」という漢字が、あてられた。私は「神話」よりも、「ふること」といったほうが、心に近いと思う。

 3月以後、福島原発の「安全神話が崩壊した」といったように、神話が虚偽といった意味で用いられているのは、おぞましい。

日本の伝統文化の本質:
 日本の伝統文化を破壊しようとした、アメリカ軍による占領が終わってから、もう半世紀以上になるのに、日本神話を否定した占領軍の言い付けを守っている者が、多い。日本人として、恥ずかしい。神話を軽んじてはなるまい。
 私は空手道に勤しんできた。  子どもの頃から母が外出する時に、着付けを手助わされたから、着物の着付け免状も持っている。

 日本の武道は、精神的なものだ。西洋のマーシャル・アーツは単に武技(わざ)を意味しており、精神性がない。 日本女性の着物は世界の民族衣装のなかで、もっとも贅沢で、豪華なものだ。 しかし、いかに着物自体が美しいものであっても、他国の女性の衣装のように、着さえすれば、美しいというものではない。

 着付けから、立ち居振る舞いが、凛として、美しくなければならない。気が大事だ。なによりも、精神性が問われる。
 茶道、書道、華道から、香道にいたるまで、心があらわれなければならない。
 日本語で「男らしい」といえば、外見のことではない。かりに肉体的に弱々しくても、病弱でも、精神が男らしいことをいう。
 ところが、西洋では「男らしい」といえば、筋骨が隆々として、外見が男性的な男のことをいう。西洋は動物的だ。

和の精神こそ第一義なり:
 私たちは、善と悪によって仕分けしない。 清いか、清々しいのが美しいのであって、美的な感性を用いて、好ましいか、望ましくないか、分ける。

 中国や、西洋では、善と悪を峻別する。そうするから、フランス革命は五万人以上の同じフランス国民を、断頭台(ギロチン)にかけて虐殺した。毛沢東の人民文化大革命は、主観的な善悪を尺度として、1000万人以上の人命を奪った。

 和の精神は、日本に固有なものである。  若者に、日本を好きになってほしい。  好きになれば、責任感が涌く。