・五輪は海外実施でも良い。 第一回“文化のオリンピック”を計画し、実施するこの提案こそ、日本が貢献できる唯一の大事業だ!

ウズベキスタンでは、第二次大戦後にソ連に抑留された日本の若者たちが造った劇場や運河、鉄道、発電所などが今も使われている。   帰国の見通しもない中で、日本人として恥ずかしくない物を、と頑張った若者たちは現地の人々に感銘を与え、それが親日感情の基層になっている。
・日本を世界中の文化が輝き溢れ、交流する場、「文化のプラットホーム」にしようという構想である。
・“文化のオリンピック”を通じて時代を切り拓(ひら)こうとするこの試みは、世界の文化に寄与するだけでなく、国際的に埋没気味の日本の「存在」をも浮揚させることとなろう。
・五輪は海外実施でも良い。 第一回“文化のオリンピック”を計画し、実施するこの提案こそ、日本が貢献できる唯一の大事業だ!




〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
年頭にあたり 「文化のオリンピック」も日本で
参議院議員中山恭子   2013.1.11 03:20 [正論]
 2013年の幕が開けた。 今、私たちは日本の将来の礎を築く重要な時を生きている。 今年こそ日本が真に繁栄し国際的に信頼され尊敬される国家として存立するために何をすべきか、五十年、百年後を見据えた国づくりを大いに議論する年にしなければならない。
≪発展の鍵は文化的基盤に≫:
 日本の経済的な繁栄は必須の課題だ。 戦後、「経済大国」の地位を謳歌(おうか)するに至った日本は、今は長引く円高デフレ不況に悩まされているものの、インフラ整備の全国展開を軸とした国土強靱(きょうじん)化を実施することで、活力を取り戻すと確信している。
 軍事力では、敗戦後67年、占領政策の頸木(くびき)を脱せないでいるが、他国に侵略されない国、自らを自らが守れる国にならなければならない。 科学技術や宇宙開発、海洋開発、医療や原子力、農業などの分野でも、世界の最先端の技術を有する国であってほしい。
 だが、経済力も軍事力もそれのみでは最後の砦(とりで)になり得ない。  人々の幸福と平和を根底で支えるのは文化である。 その原点に立ち、「文化のプラットホーム日本」構想を提唱したい。
 日本は非西洋の国家としていち早く近代化を遂げた。  その鍵は、日本が育んできた文化的基盤の中にこそ見いだし得る。  江戸末期の識字率は世界で類を見ない高さであったし、規律正しく品性溢(あふ)れる国民性はこの時期、日本を訪れた外国人が多く記している。
≪インフラ残した抑留者たち≫:
 『実語教童子教』という江戸時代に全国の寺子屋で使われた教科書がある。
「山高故不貴 以有樹為貴 人肥故不貴 以有智為貴」と始まる。
 小学校1年程度の子供たちが学び、庶民の子弟も男女を問わず高水準の教育を受けていた。
 ウズベキスタンでは、第二次大戦後にソ連に抑留された日本の若者たちが造った劇場や運河、鉄道、発電所などが今も使われている。  彼らは規律、礼儀ともに正しく、陰日向(かげひなた)なく働いたと語り継がれている。   帰国の見通しもない中で、日本人として恥ずかしくない物を、と頑張った若者たちは現地の人々に感銘を与え、それが親日感情の基層になっている。
 敗戦の焼け跡から繁栄を築いた日本人の強さの根底にも、古来培ってきた文化、風土、国民性がある。   例えば、「人をだますな。卑怯(ひきょう)なことをするな。弱い者いじめをするな」といった日々の生活に息づく徳目である。
 このような日本の文化をどうすれば国外で理解してもらえるか。  世界の人々に日本人のナマの生活に接してもらう以外にない。  数十年来、この構想を温めてきた。  日本には津々浦々、外国の人、異文化を受け入れる素地がある。  日本を世界中の文化が輝き溢れ、交流する場、「文化のプラットホーム」にしようという構想である。
 駅のプラットホームをイメージしてほしい。 荷物を背負って各地の人々が行き交い、出会う場。  そこで文化の化学反応が起き、新しい価値観が生まれる。  同様に、異文化を持って訪れる人々が、日本特有の文化を吸収し、逆に刺激を与えてそれを豊かにもし、再び旅立っていけば、日本の風土の中で培われた文化が世界に伝わる。  日本固有の、規律正しく、品格ある文化は、「文化のプラットホーム日本」構想を通じて国際的な貢献をなし得るであろう。 平和の維持にも繋(つな)がるものだ。
≪世界の人々の集う場に≫:
 目玉として、「まつり−Matsuri」プロジェクトを提案したい。 春秋の一定期間、日本を世界の文化交流拠点とし、音楽から舞台芸術伝統芸能、伝統工芸、書道、現代美術、メディア・アート、アニメ、漫画まで、あらゆる分野の第一級の表現者たちを招聘(しょうへい)し、競演の場を提供する。  この時期、日本で世界一流の文化に出会えると多くの人々が訪れ、芸術家の卵たちが集えば、その登竜門的な場ともなるであろう。
 構想の実現には、政府のみならず、地方公共団体、民間団体との共同行動が不可欠だ。  国内にはすでに、小規模行事から芸術祭の形をとるものまで、国際と名のつく事業は少なからずある。  そうした既存事業とも連携して、プロジェクトを全土で展開する。  “文化のオリンピック”を通じて時代を切り拓(ひら)こうとするこの試みは、世界の文化に寄与するだけでなく、国際的に埋没気味の日本の「存在」をも浮揚させることとなろう。
 インフラの整備も欠かせない。 地震国ながらも、地震に耐え得る最先端の技術を駆使した安全な街づくりを進めて、世界の人々に安心して日本を訪れてもらわなければならない。
 わが国が長い歴史をかけて築き上げてきた文化を、心から誇りに思い、百年先の日本が、思う存分日本らしさを開花させて、豊かで品性のある国家として国際社会での立ち位置を確保するための作業に着手しようではないか。
 今年をその壮図の元年にしたい。(なかやま きょうこ)