・少年も、働く人も、会社も、国家も、アニマルマインドを欠いてしまうと、力が萎えてしまうのだ!

・国際社会は、いまだに野獣が横行するジャングルであるのに、日本はペットのようなひ弱な社会となったままだ!
・「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」、「アメリカが来ても 日本はつつがなし」
・最後の不平等條約が改正されたのは、日露戦争に勝ったことによって、日本が「一等国」の仲間入りをした後のことだった。
・現憲法が、アメリカによって占領下で日本を再び国家としないために強要された、憲法の形を装った不平等条約だ!
・明治の先人たちは不平等条約撤廃のために、国をあげて苦闘した。
・冷戦下でもソ連が日本を狙っていたから、日本の周辺が戦後これまで一刻も平和だったことはなかった!
・少年も、働く人も、会社も、国家も、アニマルマインドを欠いてしまうと、力が萎えてしまうのだ!



〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
ペリー来寇から160年後の日本 アニマルマインドを取り戻そう  
加瀬英明  2013.08.30
 今年の7月19日は、土曜日だった。 浦賀水道の神奈川側に立って、しばらく燈明堂の先の海面を見つめた。  対岸に、房総半島の鋸山の稜線が眺めた。  今日でも、徳川時代後期に木造の灯台としてつくられた、燈明堂が建っている。
 ペリーが旧暦の嘉永六(1853)年6月3日に、浦賀水道に4隻の黒船を率いて侵入して、私が目をこらしたあたりに投錨した。 今日、私たちが使っている新暦に換算すると、7月なかばになった。
 あれから、ちょうど160年目に当たった。 あの日と変わらずに、鷗(かもめ)や、鳶(とび)が飛んでいた。
 この日から、ペリー艦隊は9日後に江戸湾から退去するまで、江戸は上から下まで慌てふためいた。 江戸の街に「太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」や、「アメリカが来ても 日本はつつがなし」という、「恙無(つつがな)い」と「筒(大砲)」を掛けた戯れ歌が現われた。
■ペリーの黒船外交の意図
 今日、箱根芦ノ湖の上のほうに、昔の東海道がそのままの姿でのこっているが、幅が2メートルもない。  あのころの日本では、長距離の物資の輸送に馬車や、牛車が使われることがなく、海路によって運ばれていた。 ペリー艦隊に居据わられると、150万人の江戸が餓えてしまうことになった。
 ペリーは砲門を並べて、幕府を傍若無人に威圧して、開国を迫った。
 要求に屈しなければ、江戸が焼き払われかねなかった。  ペリー一行は6月9日に久里浜に上陸して、幕府の御用掛に、フィルモア大統領の親書を伝達した。
  私はワシントンを訪れた時に、当時の銅版画を売っていたのを見つけて、安価で求めて所蔵している。 幔幕が張られた仮設会見所に、幕府側とペリー一行が向い合って、着席している。
 もっとも、江戸時代の日本には椅子が存在しなかった。 そこで幕府が役人に命じて、神奈川中の寺から、急いで曲彔(きょくろく)を掻き集めさせた。
  曲彔は僧侶が法要に当たって、座る椅子である。  幕府側が上等な曲彔のほうに、座った、銅版画を見ると、徳川幕府体制を葬る法事を思わせる。
■歴史を学ぶことは国の自立を学ぶ
 幕府の必死の説得によって、ペリー艦隊は翌春に戻るといって、6月12日に退散した。
  幕府はただちに品川沖を埋め立てて、大筒台場の造営工事に着手した。 当時はブルドーザーも建設機械もなく、すべて人力で行われた。
 品川の御殿山と八つ山を削って、人足がモッコを担いで、土砂を運んだ。  人足の1人ひとりが、日本を守る愛国心に燃えて、夜に入ると篝火(かがりび)に照らされて、昼夜兼行で働いた。
  今日、お台場公園として残っているが、いったい、ここを訪れる人々のうち何人が、先人たちが幕末から明治にかけて、日本の独立を守るために苦闘したことを、偲ぶものだろうか。
 お台場公園には、砲台と火薬庫の跡がある。  御台場を建設するために、手漕(てこ)ぎの二千艘(そう)の土砂運搬船が往復した。
■ペリーの再来寇の目的
 ペリーは翌年1月16日(旧暦)に、江戸湾に7隻の軍艦を率いて、再び来冠した。 2月にもう1隻が到着して、8隻となった。
 3月3日に、ペリー一行が神奈川の横浜村に上陸して、日米和親條約が締結された。
 その前日に、5人の応接係など約70人が、旗艦ポーハタン号の艦上に招待されて、ワイン、料理によって歓待された。 応接係の1人が酔って、ペリーに抱きついて、「日本、アメリカ同心!」と叫んだが、後の「日中友好」の走りのようなものだったのだろう。
安政五ヶ国條約
  日米条約を先例として、その4年後の安政5(1858)年に、幕府はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ロシアとの間に、修好通商條約を結ぶことを強要された。安政五ヶ国條約として知られる。
 和親とか、修好通商條約といっても、内容はとんでもないもので、開港地に諸国の軍隊が駐留する、諸国が西洋人に対する裁判権を持つ、一方的に関税率を決定するという、屈辱的な不平等條約だった。
  明治に入ってからも、不平等條約を撤廃することこそが、国民の悲願となった。  日本は、ペリーが来冠してから41年後に、国民が大きな犠牲を払って日清戦争に勝ち、その10年後には白人の大帝国だったロシアと戦って、打ち破って、世界を驚かせた。
■不平等條約の改正に辿りつくまで
 最後の不平等條約が改正されたのは、日露戦争に勝ったことによって、日本が「一等国」の仲間入りをした後のことだった。
 いま、占領憲法を改正するべきだという声が、ようやく高まるようになった。 私は現憲法が、アメリカによって占領下で日本を再び国家としないために強要された、憲法の形を装った不平等条約であると、論じてきた。
 吉田茂幣原喜重郎内閣の外相として、首相として現憲法の制定にかかわったが、回想録『回想十年』のなかで、マッカーサー総司令部と憲法草案について接衝した時のことを、「外国との条約締結の交渉と相似たものがあった」と、証言している。
■国家の自立とは認識がいる
 明治の先人たちは不平等条約撤廃のために、国をあげて苦闘した。
 いまでも、実体が不平等条約である現憲法を後生大事にして、墨守しようという人々が、珍しくない。 日本の大新聞によって嗾(けしか)けられて、現実に目を瞑って、軍事力を強化すると外国を刺激して、日本の安全が危くなるとか、平和を守るためには軍備が弱いほうが望ましいと、唱える人々が少なくない。
■平和呆けが保護呆けを生んだ
 「平和呆け」だといわれるが、冷戦下でもソ連が日本を狙っていたから、日本の周辺が戦後これまで一刻も平和だったことはなかった。 これは、アメリカによる「保護呆け」である。 だが、アメリカがいつまで日本を守れるだろうか。
  吉田松陰はペリーが来冠すると、日本が無防備だったために辱められたのを、「太平に馴れて腹づつみを打っているから、大事になった。あわれむべしあわれむべし」と、嘆じた。  そのまま、いまの日本に当て嵌(はま)ろう。
 日本は動物であれば、かならず備えている本能を、失ってしまっている。 国際社会は、いまだに野獣が横行するジャングルであるのに、ペットのようなひ弱な社会となった。
■アニマルマインドとは何か
 近刊『アニマルマインドと新・帝国主義』(松原仁著、ジョルダン・ブックス、1200円)を読んで、日本は動物を見倣うべきだと考えていたので、わが意を得た。  著者は衆議院議員で、民主党政権拉致問題担当大臣国家公安委員長をつとめた。
  著者はアニマルマインドとアニマルスピリッツを、闘争心、向上心、自己への自信として定義して、「国家の根源的パワー」として位置づけている。 少年も、働く人も、会社も、国家も、アニマルマインドを欠いてしまうと、力が萎えてしまう。
 この本のなかで、イギリスの経済学者ケインズや、ノーベル経済学賞を受賞したアカロフの著作から、会社から国家まで「アニマルマインド」が必要なことを、引用している。
  著者は「国家における福祉、社会保障、年金、住宅、教育などの問題は肉体の問題であり、それらが健康であること、国家の基礎体力を向上させることは、国民の『アニマルマインド』のための下地なのである」と、喝破している。拍手したい。
■アニマルマインドは自立心の根幹
  英語のアニマルanimalの語源といえば、ラテン語の「息、魂anima」「活気あるanimalis」と同根のanimaleである。 animalisは、英語の「活気づける(アニメート)」になる。
  東京は世界の首都のなかで、異常な都市だ。 ペットブームで、街なかで犬を散歩させている人に行き合うが、すべてひ弱な血統書付きの犬で、1匹も逞しい雑種犬を見かけることがない。
 制(軍)服を着た自衛官(軍人)の凛々しい姿を、見ることもまったくない。