・巨額の累積赤字を、正常水準、例えば0・6程度まで低下させるには、減債期間として数十年の歳月が必要だ!

・デフレが本物であれば、原因は実体経済の需給のギャップにあるから、総需要の不足が埋まらない限り「デフレ脱却」は難しい。
・マネーサプライの増加が期待インフレ率を高め、それまで保有されていた貨幣資産が支出へと向かわなければならない。
・第3の矢が的を射ない限り、総需要を構成する設備投資は増加基調に転じない。
・マネーの増加は総需要の増大には直接つながらない。
・賃金上昇まで至らないと、異次元緩和は単に物価や資産価格の上昇だけに終わる可能性が高い。
・巨額の累積赤字を、正常水準、例えば0・6程度まで低下させるには、減債期間として数十年の歳月が必要だ!
・2桁の経済成長を20年以上続けた国はかつてなく、停滞の後に2桁成長に戻った国もないということである。「高い経済成長」には必ず終わりがある。
・主役の座を離れて渋い脇役に回るための調整と適応をいかに成し遂げるのか、そこに日本経済の長期的課題が存在する。






〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
財政再建への長い道程の一歩に
青山学院大学特任教授・猪木武徳  2013.10.3 03:29 [正論]
 今次の安倍晋三政権は、外交と安全保障について具体的方向を示している点では旗幟(きし)鮮明だ。 ただ政権の長期安定化の公算が大きくなるにつれ、安全志向を強め、明快さにもやや陰りが出てきたようだ。集団的安全保障に関する議論に、「時間をかける」とギアを切り替えたこともその一つだ。
≪本格的な回復局面いまだし≫
 経済政策はどうだろうか。 消費税増税については、識者からの意見聴取という慎重な姿勢を見せて国民の理解を求めた。 増税が景気と財政再建にどの程度の影響があるのかをめぐっては、社会保障制度の持続可能性との関係でエコノミストたちの合意は見られない。
 この増税の議論には2つの重要な側面が含まれている。
 1つは、いわゆる「アベノミクス」をいかなるタイムスパンで評価するのかという点、
いま1つはデフレと呼ばれてきた日本経済の減速は、単なる景気循環の一局面なのか、長い時間軸で見ると成長経済がいつかは直面する衰弱の兆しなのか、という評価の時間軸(タイム・ホライズン)の問題である。
 まず第1の、アベノミクスの評価のタイムスパンという点を見ておこう。
 消費者物価の上昇率は、直近のデータでは確かにわずかながらプラスへと転じている。 この変化は4月の日銀総裁交代前からすでに発生していた「円安の力」が、その後も継続したためだろう。  問題は、この消費者物価の上昇が「インフレ期待」によって賃金の上昇につながるか否かという点だ。
 デフレが本物であれば、原因は実体経済の需給のギャップにあるから、総需要の不足が埋まらない限り「デフレ脱却」は難しい。
 デフレが貨幣的な現象であり、マネーサプライの増加で脱却が可能となるためには、マネーサプライの増加が期待インフレ率を高め、それまで保有されていた貨幣資産が支出へと向かわなければならない。
 そのメカニズムが作動しない限り、アベノミクス第1の矢は、株価や不動産価格を押し上げるだけに終わりかねない。
 アベノミクス第3の矢が的を射ない限り、総需要を構成する設備投資は増加基調に転じない。 消費が少し増えたのは、消費支出を増やした世帯主の年齢層から見て、保有株式の価格上昇で「資産効果」が働いたためと推測される。  つまり、まだ本格的な景気回復の局面に入ってはいないのだ。
 一般に、金利の低下は需要喚起につながる。 しかしゼロ以下の実質金利は、物価上昇が見られない限り期待はできない。  一方、先に触れたようにマネーの増加は総需要の増大には直接つながらない。
 したがって消費税増税による景気の「腰折れ」防止には、金融緩和は効果薄ということになる。
≪累積債務の正常化に数十年≫
 アベノミクスにより景気が本格的に回復したと判定できるのは、賃金の本格的な上昇が見られたときだ。
 賃金上昇まで至らないと、異次元緩和は単に物価や資産価格の上昇だけに終わる可能性が高い。 そうしたインフレに対して日銀が引き締めの必要を認識した局面で、国債購入を止められないような財政状況が続いていては、通貨価値の安定化は図れない。
 だからこそ財政再建の道筋はしっかりつけておかねばなるまい。
 財政は10年ほどの期間内で均衡すればよいのだが、現在の日本の政府累積債務残高と国内総生産(GDP)の比率は2倍を超え、世界でも群を抜いて高い。
 この巨額の累積赤字を、正常水準、例えば0・6程度まで低下させるには、減債期間として数十年の歳月が必要となろう。
 第2は、日本経済の現状を歴史の長い時間幅で見るとどうなるかという問いである。日本経済の現況を歴史の中に、そして世界経済の中にどう位置づけるかという文明の興亡に関わる難問でもある。はるか未来を見通すには「占い」や「ご託宣」以外に術(すべ)はない。
 ただ、100年単位で考えるとき、1つの史実に留意する必要があろう。 それは2桁の経済成長を20年以上続けた国はかつてなく、停滞の後に2桁成長に戻った国もないということである。「高い経済成長」には必ず終わりがあるのだ。
≪日本経済の成熟こそ長期課題≫
 そうした国家の興亡という視点に立つと、世界に散らばる利潤機会を巡って厳しい競争が展開されているものの、その競争の主役の顔ぶれが時代とともに変わってきたことを改めて想起させられる。
 経済成長は、成長を牽引(けんいん)する産業の交代劇であり、舞台中央に登場する主役国家の交代劇でもある。
 16世紀以降のヨーロッパの歴史を振り返っても、スペイン、ポルトガルから、オランダへ、そしてイギリス、フランスを経て、ドイツ、米国、日本へと主役と主役産業の交代があったことが、その何よりの例証であろう。
 いかに成長するか、いかに成熟するかは、人間と同様、一国経済にとっても言うほど容易なことではない。
 主役の座を離れて渋い脇役に回るための調整と適応をいかに成し遂げるのか、そこに日本経済の長期的課題が存在するのだ。(いのき たけのり)