・東アジアには、国家の価値は重視するが、それを構成する個人の価値を重んじない国家指導者や主席が昔もいたし今もいる。

・セルフ・ヘルプは西洋資本主義の自主自立の精神だ。中村訳の「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」は日本の格言と化している。
・「一国の価値は、一国を構成する個々人の価値の総体である」はミルの言葉。
・東アジアには、国家の価値は重視するが、それを構成する個人の価値を重んじない国家指導者や主席が昔もいたし今もいる。
共産党は党の命令に無条件で従え!だ。人民には行動指針に従わせればいいので、理由は教えなくていい!という昔と同じ発想のまま。
・西洋起源の民主主義とは人民には広く知らせて自分でやらせろ!だ。








〜〜〜関連情報<参考>〜〜〜
今も「民ハ由ラシムベシ」の中国 
東京大学名誉教授・平川祐弘  2014.7.24 03:06 [正論]
 香港では数十万人が、香港行政長官を自由選挙で選ぶことを求めてデモした。 他方、中国当局親中派が香港のトップとなるよう、候補者の指名制にこだわっている。 反北京のリーダーを候補者から締め出すためだ。 選挙か指名か、東洋における民主制導入について思い出を語りたい。
≪個人の価値を重んじない≫
 前世紀の末、大陸で私は中国の大学院生に中村正直福沢諭吉を教えた。 
 中村は幕末の昌平黌のお儒者だが、勝海舟から英漢辞書を借りて洋学も学び、1866年、第1回徳川幕府英国留学生渡欧の際、取締り名義で随行、ロンドンで学んだ。
 2年の間に幕府は瓦解(がかい)し、明治になって帰国した中村だがミルの『自由之理』やスマイルズ西国立志編、原名自助論』を訳すや大評判となった。  日本一の漢学者が洋学者となって帰国し西洋の民主政治や産業革命の秘訣(ひけつ)を伝えたからだ。
 セルフ・ヘルプとは西洋資本主義の自主自立の精神だ。中村訳の「天ハ自ラ助クルモノヲ助ク」は日本の格言と化している。
 空前のベストセラーとなった『西国立志編』はミルの言葉「一国ノ貴(トウ)トマルルトコロノ位価ハ、ソノ人民ノ貴トマルルモノノ、合併シタル位価ナリ」で始まる。
 「一国の価値は、一国を構成する個々人の価値の総体である」。
 ところが東アジアには、国家の価値は重視するが、それを構成する個人の価値を重んじない国家指導者や主席が昔もいたし今もいる。
 しかし、ミルの『自由論』の眼目は、「自由トハ、カカル政治支配者ノ暴虐カラノ心身ノ安全保護ヲ意味スル」。
 私が By liberty, was meant protection against tyranny of the political rulers.を訳した時、教室が緊張した。
 中村はミルの思想を解説して「国ニ自主ノ権有ル所以(ユエン)ノモノハ、人民ニ自主ノ権有ルニ由(ヨ)ル。人民ニ自主ノ権有ル所以ノモノハ、其ノ自主ノ志行有ルニ由ル」。こうした言葉は天安門事件直後の中国の「自主ノ権ナキ」若者には切実に響いたに違いない。

≪理由抜き「党命令に従え」≫
 そう教えた日の夕方、私の宿舎に学生が一人現れた。「『自由之理』を貸して頂けませんか」。そして「孔子の昔から中国は〈民ハ由ラシムベシ、知ラシムベカラズ〉です。 
 共産党は党の命令に無条件で従え、という。人民には行動指針に従わせればいいので、理由は教えなくていい、という昔と同じ発想です」。
 私が質問した、「では西洋起源の民主主義とは何ですか」。「〈民ハ知ラシムベシ、由ラシムベカラズ〉です。
 人民には広く知らせて自分でやらせろ。お上(かみ)を頼りにするな、です」。いい答えだと思った。だが、あれから20年、そんな思想に目覚めた彼は志を得ず、くすぶっているに相違ない。
 もっとも党の代弁人のように「投票による選挙制度は中国になじまない」という学生もいた。
 共産党に代わる統治能力のある組織がないとも言った。
 漢民族にデモクラシーは不向きかなと私も一旦は考えた。
 しかし台湾で総選挙によって平和裡に政権が交代する様を目撃してからは私はその考えは撤回した。
 1990年代の大陸中国でも農村で村長を選挙で選ぶとか民主化の萌芽(ほうが)はあった。  全国の学生食堂で投票が行われ、北京外大の鶏の空揚げが第1位に選ばれたが、こんなコンクールも選挙の一種といえないことはない。

≪面子立てて「優秀学生」に≫
 すると選挙か指名かの問題が身近で起こった。 その年も北京に出向いたが「外大で教えるかたわら中国語をお習いになりませんか」と飛行場で勧誘された。  不況で韓国留学生が一斉に帰国してしまい大弱りだという。 承知して授業料を払うとクラス分けのテストがある。  中国語会話は家内の方が達者だ。 別々の試験は面倒だから一緒に面接を受けた。 家内が先に答える。私は「対(トエ)、対(トエ)」と相槌を打つ。
 そこまでは誤魔化せたが筆記試験で実力が露見し、私は家内より4級下の組に振り当てられた。
 家内は遠慮深くて一つ下げ、私は厚かましくて一つ上げて隣のクラスになった。 学期末、優秀学生を学生の投票で選ぶという。 なんと隣の組では年の功だろう、家内が選ばれた。 すると先生方が慌てて相談した。 察するにこう考えたのだろう。平川老師は中国語クラスでは留学生だが、実は本学の外国人教授である。  夫人だけが優秀学生に選出され、教授が選出されねば、不名誉で面子(メンツ)を失うだろう。
 それで「このクラスでは担任が指名します。優秀学生は平川祐弘です」。突然の宣告であった。
 週2日は教授として教えていた関係で私は語学クラスをかなり欠席した。 当然実力にも欠ける。 しかし試験に優秀学生の成績が悪いと判定会議で問題になるかもしれない。それを懸念したのだろうか、最終テストの最中に先生が正解をそっと教えてくれた。

 選挙か指名か、そんな思い出がなつかしい。講堂で壇上に並んで呼び出され、賞品として頂いた『現代漢語規範字典』は、2冊とも大事にガラス棚に入れてある。(ひらかわ すけひろ)