・ハトであった鳥までカラスと呼んできた72年、内閣法制局の過ちを正すだけである。

違憲とする憲法学者や野党の主張は、世界の変化を考慮しない観念論で、現実感覚がない。
・砂川判決が個別的と集団的の区別をせずに国家の自衛権を認めた。
・72年に、内閣法制局は「日本に許されているのは個別的自衛権だけで、集団的自衛権はすべて違憲」とした上で、集団的自衛権を「他国に加えられた武力攻撃を阻止すること」と定義した。つまり、「個別的自衛以外のすべての武力行使イコール他国を守る行為」と荒っぽく認定した。
・72年のこれが問題だ!と指摘することが大事。
・72年に「集団的自衛権」として一括(くく)りにされたものの中には、日本人の生命と財産を守るための自衛権も混在していたのである。「日本独力では無理なので他国と共同して初めて可能となる自衛行動」だ。
・わが国は護衛対象に僅かでも外国船が含まれていれば、護衛艦隊への参加は「他国を守る行為」として拒否して、日本船隊の護衛は他国の海軍にやらせて知らん顔をするのか。 勝手な理屈は「いい加減にしろ!」
・72年、内閣法制局は「白いハト以外のすべての鳥はカラス」と断定した。しかし、実はカラスの中に、日本一国ではできない日本人の生命・財産の保護という、色はグレーでも、れっきとしたハトが交じっていたのである。
・ハトであった鳥までカラスと呼んできた72年、内閣法制局の過ちを正すだけである。
・日本防衛のためでない武力行使への参加は、勿論、違憲であって許されない。
・欲しいのは、現実に対する認識だ。
・外交官は、自衛隊は行かない「危険地域」のバグダッドイラク各地で黙々と仕事をしている。
・多くの援助関係者や専門家も危険覚悟で、自衛隊の行かない地域で活動している。世界の安全保障環境は激変し、72年の政府見解では、対応できない時代になっているのだ。
憲法学者が意気軒高に政府を「おばかさん」と呼んでいれば済む話ではない。






〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.6.25 05:01更新   【正論】
世界の現実踏まえた憲法論議を 外交評論家・岡本行夫

 安保法制についての政府の説明は、行儀がよすぎて些(いささ)か分かりづらい。一方、これを違憲とする憲法学者や野党の主張は、世界の変化を考慮しない観念論で、現実感覚がない。
≪顕在化する自衛行動の必要性≫
 砂川判決が個別的と集団的の区別をせずに国家の自衛権を認めたのは周知のとおりである。しかしその後がいけない。72年に、内閣法制局は「日本に許されているのは個別的自衛権だけで、集団的自衛権はすべて違憲」とした上で、集団的自衛権を「他国に加えられた武力攻撃を阻止すること」と定義した。つまり、「個別的自衛以外のすべての武力行使イコール他国を守る行為」と荒っぽく認定したわけだ。
 因(ちな)みに72年は「非武装中立論」に対する国民の支持が最も高かった年(15・5%、現在は2・6%)であった。海外で起こる紛争が日本人の生命や財産を脅かす事態など考える必要がなかった平和な時代だ。反対論者の違憲論も、40年以上前のこの時代であれば、立派な意見であった。
 しかし、実は、72年に「集団的自衛権」として一括(くく)りにされたものの中には、日本人の生命と財産を守るための自衛権も混在していたのである。「日本独力では無理なので他国と共同して初めて可能となる自衛行動」のことである。こうした自衛行動の必要性が顕在化してきたのは80年以降だ。
 例えば海上防衛。当時はいたって安全であった海域が、今や物騒で波立つ海となった。79年のイラン革命以来、イランの革命防衛隊はペルシャ湾の商船隊を脅かし、機雷を敷設したこともある。
 ホルムズ海峡を出れば、外海のアラビア海にはソマリア海賊が待ち受ける。その先のインド洋は、アフガニスタンタリバンが麻薬と武器を輸送するルートだ。さらに進めば、中国海軍が膨張を続ける南シナ海がひろがる。
 日本の護衛艦は90年代には60隻。それが現在は47隻。これで2600隻の日本商船隊を守れるわけがない。唯一の道は、各国海軍と共同しての護衛である。
≪国際艦隊への参加断った日本≫
 海賊からのタンカー保護を考えてみればよい。自衛隊護衛艦は今年の5月末までに663隻の日本の商船を護衛したが、それだけではない。実に2902隻の外国船舶を日本船とともに護衛したのである。他国の海軍も同じように日本船舶を護衛してくれた。
 もちろん、これは海賊対処法に基づく刑法犯罪への対決であるが、海賊を撃退した後に、どこかの「国または国に準ずる組織」の艦船が商船隊を襲撃してきたときには、海上自衛隊は拱手(きょうしゅ)傍観するのか。どう考えてもおかしい。
 弱い海賊に対してすら海上自衛艦隊をもって警護するのに、より強大な襲撃者に対しては「どうぞご自由に攻撃を」と道を開けるのか。
 憲法学者が意気軒高に政府を「おばかさん」と呼んでいれば済む話ではない。
 87年、湾内の商船隊を護衛する国際艦隊が組織された。日本も参加を要請されたが「個別的自衛権に該当しない」と断った。
 護衛の対象船舶の7割は日本関係船舶だったにもかかわらずだ。わが国は護衛対象に僅かでも外国船が含まれていれば、護衛艦隊への参加は「他国を守る行為」として拒否して、日本船隊の護衛は他国の海軍にやらせて知らん顔をするのか。
≪カラスに交じったグレーのハト≫
 要するにこういうことだ。個別的自衛権を白いハト、憲法の認めない集団的自衛権をカラスとしよう。
 72年、内閣法制局は「白いハト以外のすべての鳥はカラス」と断定した。しかし、実はカラスの中に、日本一国ではできない日本人の生命・財産の保護という、色はグレーでも、れっきとしたハトが交じっていたのである。
 今回の安保法制は、カラスの鳥籠からこのハトを外に出してやることである。違憲だったカラスが合憲の鳥に変わるわけではない。ハトであった鳥までカラスと呼んできた過ちを正すだけである。
 もちろん、憲法9条は厳然として存在するからカラスは鳥籠から出すわけにはいかない。たとえ同盟国アメリカが行うものであっても、日本防衛のためでない武力行使への参加は違憲であって許されない。
 その違憲合憲を判断するのは国会の役割だ。内閣が自衛隊を派遣した後に、国会が「今度の派遣は違憲のケースだ」と議決すれば、自衛隊は当然に呼び戻される。
 欲しいのは、現実に対する認識だ。時の人となった長谷部恭男早大教授は、「外務官僚には全員自衛隊入隊を義務づけ(危険地域を体験させよ)」と主張する。
 しかし外交官は、自衛隊は行かない「危険地域」のバグダッドイラク各地で黙々と仕事をしている。
 既に2人の外交官が反政府勢力に殺害されたが、勤務を続けている。多くの援助関係者や専門家も危険覚悟で、自衛隊の行かない地域で活動している。世界の安全保障環境は激変し、72年の政府見解では、対応できない時代になっているのだ。(おかもと ゆきお)