・軋轢の真の原因は中韓両国とも歴史問題を、戦略的または国内政治的に、利用しているからだ! 中韓には、うんざりだ!

・「安易な取り組みは禁物」であり「曖昧な決着でまた火種を残すような解決は必要ない」(産経)
・「解決の判断を元慰安婦らに委ねる(韓国側の)姿勢は無責任」であり「何らかの措置を取るにしても、それが最終決着だとの韓国の保証が要る」(読売)
・公平に見て、日韓関係停滞の主な原因はやはり韓国側にある。米国の認識も同様だ。だからこそ韓国は事態を打開するためようやく重い腰を上げた。
慰安婦問題では「できるだけ早期の妥結」を目指して交渉を加速させることで一致した。優先すべきは「妥結」であって「早期」でない。
・軋轢の真の原因は中韓両国とも歴史問題を、戦略的または国内政治的に、利用しているからだ!
・最高政治指導者が国内政治問題を自ら処理できず、解決を外国に委ねる姿勢は如何(いかが)なものか。
・欧州人は現代中国の本質を理解していなさすぎる。









〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.11.6 05:01更新 【正論】 中韓は歴史問題解決を望むのか
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・宮家邦彦

 本稿はロンドン発夜行便の中で書いている。米国・欧州関係の専門家が集まる国際会議に招かれたのだ。会議の議題は「アジア情勢と米欧関係」だったが、同時期ソウルで開かれた日中韓など一連の首脳会談に関する議論はほとんどなかった。改めて欧米と北東アジア間の温度差を痛感する。
≪日韓関係停滞の原因≫
 便利なもので、会議中でも日中韓首脳会談等の情報はネットを通じリアルタイムで手に入る。今回の日韓首脳会談実現に尽力された日韓の関係者には敬意を表するが、会談結果について日本国内主要紙の論調は相変わらず割れた。
 多くの社説は「立場は堅持しつつも、人道的な見地から互いに納得できる形で、最終的な決着をめざして妥協策を模索」すべし、「安倍首相は思い切って一歩踏み出す」べしなどと、奇麗ごとでお茶を濁していた。
 中には「国の威信をぶつけ合うのではなく、被害者らの気持ちをいかに癒やせるのかを最優先に考える必要がある」などと、主権国家とNGOを混同するがごとき論調すらあった。
 これに対し、「安易な取り組みは禁物」であり「曖昧な決着でまた火種を残すような解決は必要ない」(産経)「解決の判断を元慰安婦らに委ねる(韓国側の)姿勢は無責任」であり「何らかの措置を取るにしても、それが最終決着だとの韓国の保証が要る」(読売)との主張もある。冷静に読み比べてみると、何が正論かは一目瞭然だろう。

 筆者がロンドンでの会議中に考えたことは次の通りだ。
●公平に見て、日韓関係停滞の主な原因はやはり韓国側にある。米国の認識も同様だ。だからこそ韓国は事態を打開するためようやく重い腰を上げたのだろう。
朴槿恵大統領の立場は微妙だ。ソウルで日中韓3カ国の首脳会談を開かなければ、日韓首脳会談開催を正当化できないほど彼女は思い詰めているのだろうか。
●されば、昼食会や共同記者会見が開かれなかったことも理解できる。日本側に対する不満というより、朴大統領自身へのダメージを恐れた結果かもしれない。
●日本側もこうした状況は百も承知で韓国側に最大限配慮したのだろう。しかし、そうした配慮はあくまで「法的には解決済み」という大前提の下でのものだ。
慰安婦問題では「できるだけ早期の妥結」を目指して交渉を加速させることで一致した。優先すべきは「妥結」であって「早期」でないことは言うまでもない。

≪的外れなナショナリズム論≫
 ロンドンの会議中、気になることがあった。久しぶりで再会した欧州のアジア専門家が「北東アジア諸国(すなわち日中韓)間のナショナリズムの応酬は要注意だ」と繰り返し主張したのだ。この手の議論は日本のリベラル系紙の「互いの内向きなメンツや、狭量なナショナリズムにこだわっていたのだとしたら、残念」といった的外れの主張にも通ずる。筆者は友人にこう反論した。
ナショナリズムは歴史問題をめぐる日中韓の軋轢(あつれき)の原因ではなく、むしろ結果だ。
●軋轢の真の原因は中韓両国とも歴史問題を、戦略的または国内政治的に、利用しているからだ。
中国共産党の統治の正統性の源は「抗日戦争勝利」であり、歴史問題「解決」は有害ですらある。
●韓国大統領にとって「対日譲歩」は内政上の自殺行為であり、歴史問題は政権維持に不可欠である。
●最高政治指導者が国内政治問題を自ら処理できず、解決を外国に委ねる姿勢は如何(いかが)なものか。

≪欧州と東アジアの認識の溝≫
 どうも欧州人には北東アジア情勢の理解が難しいようだ。彼らの典型的な論調は、「戦後独仏は和解したのに、なぜ日中韓はできないのか」「日本はドイツの経験に学ぶべきだ」というものだ。彼らが理解できないのは、日本にとって中国が「独にとっての仏」ではなく、むしろ「欧州にとってのソ連」であったことだ。
 独仏は米ソの狭間(はざま)の中で共通の利益を維持するため「和解」に踏み切った。仏は独の謝罪を受け入れ、これを赦(ゆる)した。それに対し、中国と韓国は過去20年の日本の謝罪を受け入れず、今も内政上などの理由から、これを赦そうとしない。真の「和解」には「謝罪」と「赦し」が不可欠である。
 フライトの都合でロンドンの会議を中座せざるを得なくなった。欧州と東アジアの埋めがたい認識の溝を改めて感じた筆者は、別れの挨拶の代わりにこう述べた。
 「欧州人は現代中国の本質を理解していない。仮に欧州大陸に13億人の欧州人がおり、全員がナポレオンの下でフランス語を喋(しゃべ)るか、ヒトラーの下でドイツ語を喋るか、スターリンの下でロシア語を喋るかしたら、英国はいかなる脅威を感じるだろうか。日本にとっての中国とは、英国にとってのそのような欧州大陸なのだ」と。日本と欧州の相互理解はこれからの課題である。(みやけ くにひこ)