・ロシア軍機の撃墜事件は、シリア戦争後の中東秩序ひいては国際体系のあり方にも大きな影響を与える要因になる。

・背景には、シリアに住むトルクメン人とクルド人の民族問題もからんでいる。
・ISが潰(つい)えてクルド人自治国家ができればトルコには領土的に接触するアラブの隣国が消えてしまいかねない。
・トルコの狙いは、トルクメン人を米欧・北大西洋条約機構NATO)の支援でつくるべき「安全地帯」に編入することにあった。
・ロシアによるシリア内戦への参入はトルコの調整能力の欠如と相まって、北シリアの分離独立構想を難しくしている。
プーチン氏としては、アサド政権を守りながら、ISの軍事部門指導部のチェチェン人らをロシアに戻さないという基本線を譲れないのである。
・ロシアは危機解消の条件としてトルコに責任者の処分だけでなく、トルクメン人支援や北シリア(アレッポ)での戦闘関与の中止を求めるだろう。
・シリアにおけるトルコの戦略的優位性の放棄を求めるのと同じである。ロシアは、トルコがテロ組織と見なすシリアのPYDなどへの援助を強化するに違いない。
・現状はトルコの敗北と米欧・NATOの力の後退を示している。トルコによる撃墜は、ロシアの国際政治における主要プレーヤーとしての地位を確認強化したにすぎない。
・ロシア軍機の撃墜事件は、シリア戦争後の中東秩序ひいては国際体系のあり方にも大きな影響を与える要因になる。






〜〜〜関連情報(参考)〜〜〜
2015.12.3 05:01更新  【正論】
露土対立は中東秩序を変えるか
 □フジテレビ特任顧問 明治大学特任教授・山内昌之

 11月24日のトルコ軍機によるロシア軍機の撃墜は、シリア問題や露土関係に緊迫感を与えている。
 それは、後から歴史を回顧するなら、第2次冷戦を深めたと目されるかもしれない。トルコの行為は、中東で新たな勢力分布の再編と国家の線引きを試みるロシアにとって地政学的な挑戦と受け止められた。トルコは、エネルギーの観点から見るなら、ガス供給国たるロシアの「属国」あるいは「衛星国」にすぎない。エルドアン大統領はこれまでプーチン大統領を批判したことさえないのに、何故に今回の挙に出たのか。

≪撃墜の背景にからむ民族問題≫
 ロシア軍機がトルコの領空を度々侵犯していたのは事実である。しかし、同じ行為を受けてもイスラエルは、狭い空域での偶然性と、ロシアに戦争意志がないことを根拠に反撃していない。
 今回の背景には、シリアに住むトルクメン人とクルド人の民族問題もからんでいる。トルコのハタイ県(アレクサンドレッタ)に接するシリアの要衝に、バユルブジャクという場所がある。そこは北シリアから東地中海に抜ける要地であり、ロシア軍に支援されたアサド政権のシリア軍が最近、その地の数拠点を確保した。
 そこにはトルコ人の兄弟民族トルクメン人が住んでいる。また、トルコのPKK(クルディスタン労働者党)のシリア出先ともいうべきPYD(民主連合党)とYPG(人民防衛部隊)がつくろうとする北シリアの自治国家に編入されるか、その影響を受ける可能性のある土地でもある。
 トルコ政府はこれらのクルド人組織をテロ団体と見ており、対抗上同じスンナ派の「イスラム国」(IS)を支援するか活動を黙認してきた。
 ISが潰(つい)えてクルド人自治国家ができればトルコには領土的に接触するアラブの隣国が消えてしまいかねない。
 これは、隣接するアラブ地域への影響力を強めようとするダウトオール首相の新オスマン外交や「隣国との問題ゼロ」外交の破綻を意味する。

≪生き延びるアサド大統領≫
 トルコにとって、PYDの国家建設とクルド人の地中海接壌を阻止し、内陸部に封じ込めるのは地政学的にも不可欠である。
 PYDによるトルクメン人のエスニック・クレンジングを妨げるには、アサド政権の消滅だけでなくPYDの弱体化も避けられない。
 トルコの狙いは、トルクメン人を米欧・北大西洋条約機構NATO)の支援でつくるべき「安全地帯」に編入することにあった。
 この安全地帯にはアレッポ北部とイドリブのスンナ派アラブ人居住地も含まれ、いずれ北シリアが独立国家となる基盤になるはずだった。しかし、ロシアによるシリア内戦への参入はトルコの調整能力の欠如と相まって、北シリアの分離独立構想を難しくしている。
 トルコは反アサド派を支援してきたが、そこにはISも入っているというプーチン氏の批判は、エルドアン氏の娘婿はじめ政権中枢がISからの密輸ルートを守る利権がらみの不純な動機から、ロシア軍機を撃墜したと言うまでにエスカレートしている。
 プーチン氏としては、アサド政権を守りながら、ISの軍事部門指導部のチェチェン人らをロシアに戻さないという基本線を譲れないのである。
 トルクメン人やクルド人の問題が21世紀の露土戦争の引き金になるのは、トルコにとって合理的選択ではない。
 フランスはISによる「パリの大虐殺」を受けて、シリア戦争の処理についてロシアやイランと連合を組むことで手打ちに入った。フランスは、アサド大統領が暫定政権に残ることに妥協するだろう。
 米英はこれに追随する以外に現実的選択肢をもたない。オバマ大統領はシリア戦争の拡大を望まず、中国の南シナ海への野心の妨害などアジア太平洋の安全保障に力を集中するはずだ。

≪地位を強化したロシア≫
 ロシアは撃墜事件を最大限に利用する勝者であり、トルコは露土戦争を回避する立場の敗者である。
 ロシアは危機解消の条件としてトルコに責任者の処分だけでなく、トルクメン人支援や北シリア(アレッポ)での戦闘関与の中止を求めるだろう。ISとの関係断絶も明示的に求める。これらはシリアにおけるトルコの戦略的優位性の放棄を求めるのと同じである。ロシアは、トルコがテロ組織と見なすシリアのPYDなどへの援助を強化するに違いない。
 しかしロシアも過度にトルコを追い込めない。過去の露土戦争の経験、ギリシャキプロスへのトルコの世論硬化の先例を見れば、ロシアとの「熱戦」を煽(あお)る排外主義が起こり、トルコ国内の反クルド感情や親ISの雰囲気と結びついて危険なポストモダン型の戦争が出現しないともかぎらない。
 いずれにせよ、現状はトルコの敗北と米欧・NATOの力の後退を示している。トルコによる撃墜は、ロシアの国際政治における主要プレーヤーとしての地位を確認強化したにすぎない。今回の事件は、シリア戦争後の中東秩序ひいては国際体系のあり方にも大きな影響を与える要因になりそうだ。(やまうち まさゆき)